培養細胞上の病原細菌の動きを機械学習で解析

- 未曽有の感染症対応への貢献に期待 -

2023/12/06

【本学研究者情報】
〇大学院工学研究科応用物理学専攻 准教授 中村 修一
研究室ウェブページ

発表のポイント

  • 病原微生物を感染させた動物細胞の経過観察は病気の仕組みを解明するために重要ですが、観察で用いられる蛍光マーカーが微生物の生理機能に影響するという課題があります。
  • 監視カメラの映像解析等に用いられる機械学習(注1)による「背景減算法」を応用し、動物細胞に付着した病原性細菌レプトスピラの運動を、蛍光マーカーを使わずそのまま解析することに成功しました。
  • 微生物種によらず、背景ノイズに強い本技術は、新興感染症への迅速な対応や新しい診断支援技術の開発に役立つことが期待されます。

概要

病原微生物を動物細胞に感染させて経過を調べる実験は、病気の仕組みの解明に役立ち、動物実験よりも行いやすいため、様々な感染症を対象に行われています。微生物に蛍光マーカーを付けて動物細胞と区別する手法(蛍光標識)が一般的ですが、蛍光物質の細胞の生理機能阻害の可能性があり、使える微生物種は限られています。

東北大学大学院工学研究科応用物理学専攻の阿部圭吾氏(研究当時 博士後期課程学生)と中村修一准教授は、国立感染症研究所の小泉信夫主任研究官と共同で、腎臓細胞に付着した細菌の動きを、蛍光標識を使うことなく、機械学習によって自動追跡する手法を開発しました。本技術は監視カメラの映像解析で利用されている「背景減算法」を応用したもので、顕微鏡で撮影した映像から腎臓細胞(背景)の信号を差し引くことで、動く細菌を明瞭に観察できます。解析対象の微生物種を選ばない本技術は、新興感染症への迅速な対応や新しい診断支援技術の開発につながります。本研究成果は、2023年12月5日19時(日本時間)に英国科学誌Nature Communications にオンライン掲載されました。

研究の背景

病原微生物の多くは、宿主となる人や動物の体内に侵入した後、特定の組織に移行して細胞の破壊や炎症を引き起こしたり、あるいは目立った症状を起こすことなく定着したりします。病気のメカニズムの解明や治療法の開発には、組織細胞に到達した病原微生物の動態(その場でどのように振る舞うか)を理解することが重要です。病原微生物をフラスコ内で培養した動物細胞に感染させて経過を調べる実験は、感染症の仕組みの解明や治療法の開発に役立つ上に、動物実験よりも行いやすいため、様々な感染症を対象に行われています。

微生物を観察するには顕微鏡を使いますが、動物細胞に付着している微生物を観察する場合、動物細胞と微生物の屈折率が非常に近いため、そのままでは両者を区別して観察することが困難です。そのため、動物細胞か微生物のいずれかを染色します。生きている微生物の動態を調べる場合は、蛍光タンパク質で微生物を標識化する「蛍光標識」が一般的です。微生物を蛍光標識するには、蛍光タンパク質の遺伝子を微生物に導入する遺伝子操作が必要です。大腸菌のように遺伝子操作技術が十分に確立されている微生物種では、蛍光標識による研究が多く行われてきました。しかし、研究が始まって間もない感染症の病原体や、遺伝子操作技術が十分に確立されていない種では遺伝子導入やタンパク質合成がうまくいかない場合が多く、研究の進展を阻む一因となっています。

今回の取り組み

研究グループは、機械学習を利用した「背景減算法」を微生物動画の解析に取り入れ、蛍光タンパク質で標識化していない(ラベルフリー)細菌の運動を培養細胞上で追跡することに成功しました。背景減算法は、監視カメラの映像解析において、静止している背景に対して、動いている前景を自動追跡するために利用されてきました。近年の生命科学分野、特に創薬や臨床診断などの産業へと直結する研究分野では、機械学習や深層学習によるデータ解析の利用が急速に広がっています。その背景には、次世代シークエンサー(注2)やイメージング等の技術革新とともにビッグデータの解析が必要になったことがあります。これらの技術は、解析性能の向上に加え、費用や時間、労働負担といったあらゆるコストの削減に貢献していると言えます。

監視カメラの映像解析を例にすると、建物や街路樹などが背景、背景に対して動く人や車が前景です。背景は基本的には動きませんが、風に揺れる木の葉や、太陽の位置とともに変化する影のように、背景にも時々刻々の変化が生じます。このような背景のゆらぎを統計的なモデルで説明できるのであれば、背景モデルに合わない物体が現れたとき(例えば、ビルの前を車が横切った時)、それを前景とみなすことができます。背景減算法では、背景モデルの推定と、推定した背景を差し引くことによる前景の認識を、デジタル映像の各ピクセルについて逐次的に行います。

研究グループは、人獣共通感染症レプトスピラ症の病原体であるレプトスピラ属細菌(Leptospira interrogans)の腎臓細胞上での運動を、背景減算法で解析しました。レプトスピラ症は、南米や東南アジアなど熱帯地方を中心に、世界中で発生している人獣共通感染症で、最近では沖縄県西表島で集団感染の報告がありました。レプトスピラ属細菌は、主に皮膚や目から侵入した後、血流にのって全身に広がり、肝臓や腎臓に蓄積します。軽症の場合は風邪に似た症状を示し、重症の場合は黄疸、肺出血、腎不全を起こし、死亡することもあります。レプトスピラは、人を含むほぼすべての哺乳動物に感染しますが、症状の重症度は、レプトスピラの血清型と宿主の種類の組み合わせによって大きく異なります。ラットのような齧歯類はレプトスピラ属細菌に感染してもほとんど症状を示さず、長期にわたって腎臓内に保菌して尿とともに菌を排出するため、汚染源となります。一方で、人や犬は、レプトスピラの血清型によっては重症化します。このようなレプトスピラ属細菌の宿主選好性のメカニズムを理解することは、保菌動物の発生抑止や予防・治療法の開発のために非常に重要です。

研究グループは、ラット(保菌動物)と犬(重症化傾向のある動物)の腎臓細胞に、レプトスピラ属細菌の様々な臨床分離株(レプトスピラ症に感染した動物から分離した株)を感染させ、腎臓細胞に付着しながら這いまわるように動くクロウリング運動を、機械学習ベースの背景減算法で解析しました。その結果、保菌動物であるラットの腎臓細胞に感染したレプトスピラ株の多くは細胞への付着性が高い一方でクロウリング運動性が低く、重症化しやすい犬の腎臓細胞に感染したレプトスピラ株は付着性が低い一方でクロウリング運動性が高い傾向にあり、レプトスピラ属細菌の付着性とクロウリング運動性が反相関の関係にあることがわかりました。さらに、LigAとLenAというレプトスピラ属細菌の外膜タンパク質(菌体の表層にあるタンパク質)の遺伝子が破壊された変異株は、いずれも犬の腎臓細胞への付着率が著しく低下したことから、これらの蛋白質が腎臓細胞への付着に関わることが示唆されました。腎臓細胞への強い接着性は宿主体内に安定して長期間留まるために必要です。それに対し、活発なクロウリング運動は、レプトスピラ属細菌が組織表面を広く探索して組織の深部に侵入するのに役立つと考えられます。

今後の展開

時々刻々と変化する背景ノイズに強く、解析対象の微生物種を選ばない本研究の無標識検出技術は、病原体について未知の部分が多い新興感染症や、未曽有の感染症に対する迅速な対応に大いに役立つと期待できます。本研究は機械学習の新たな技術分野への応用提案であり、医学・生命科学分野と情報科学の双方の発展に寄与するものです。また、本研究で発見した細胞表面での運動に関わる知見は、レプトスピラ属細菌の外膜タンパク質をターゲットとしたレプトスピラ症に関するワクチン開発等の新治療法の開発への展開も期待されるものです。


図1 機械学習を用いた病原性細菌の運動トラッキング法。(a) 腎臓細胞への細菌感染実験の模式図。液体を入れられる容器がついたスライドガラス上に構築した培養腎臓細胞シートにレプトスピラ属細菌を感染させ、細菌の様子をビデオ顕微鏡で記録した。(b)運動トラッキングの流れ。(c)機械学習を用いた背景減算法。ピクセルごとの明るさの分布から背景とみなされた分布を差し引くことで、前景(この場合は細菌)が浮かび上がるように観察できるようになる。

動画資料

腎臓細胞上でのレプトスピラ属細菌の振る舞い


図2 機械学習による細菌感染実験で明らかになった、腎臓細胞上でのレプトスピラ症病原体の振る舞いと重症化の関係。

謝辞

本研究は、科学研究費補助金・基盤研究(B)(JP21H02727)、基盤研究(C)(JP19K07571、JP22K07062)、文部科学省補助金事業・東北大学人工知能エレクトロニクス卓越大学院プログラム(AIE)の助成により行われました。

用語説明

(注1)機械学習

コンピュータに大量のデータを反復学習させることでデータセットのパターンなどを分析させ、その分析結果をもとに未知のデータの分類などを行う技術。

(注2)次世代シークエンサー

数千~数百万の膨大なDNA断片の配列を並列して解析する手法。

論文情報

タイトル: Machine learning-based motion tracking reveals an inverse correlation between adhesivity and surface motility of the leptospirosis spirochete
著者: Keigo Abe, Nobuo Koizumi, Shuichi Nakamura*
*責任著者: 東北大学大学院工学研究科応用物理学専攻 准教授 中村 修一
掲載誌: Nature communications 14, Article number: 7703 (2023)
DOI: 10.1038/s41467-023-43366-0

お問合せ先

< 研究に関すること >
東北大学大学院工学研究科 応用物理学専攻 准教授 中村 修一
TEL:022-795-5849
E-mail:shuichi.nakamura.e8@tohoku.ac.jp
< 報道に関すること >
東北大学工学研究科・工学部 情報広報室
TEL:022-795-5898
E-mail:eng-pr@grp.tohoku.ac.jp
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