超伝導に迫るセンサ感度を有する量子スピンセンサの社会実装が加速
- 大型国家プロジェクトおよび新規ベンチャー企業がスタート -
2024/01/10
発表のポイント
概要
心疾患、脳血管疾患は日本における死因の上位にあげられます。東北大学大学院工学研究科応用物理学専攻の大兼幹彦教授らの研究グループが2023年に開発した量子スピンセンサは、室温で動作可能で、かつ脳磁場などの極微弱磁場を検出可能な感度を有しています。このセンサ感度は、超伝導を用いた磁気センサ(SQUID(注5))に迫るものであり、世界最高の性能です。また、高感度化された量子スピンセンサを用いた脳磁計により、室温下で高精度な脳磁場測定が実現されています。これらの研究成果をもとに、SIPプロジェクト第3期として「量子スピンセンサの開発とユースケースの開拓・実証」(研究責任者:大兼 幹彦)が2023年9月に採択され、成果を社会実装するための研究開発が2024年より本格的にスタートします。また、心磁計を医療機器として早期に実用化するための東北大学発ベンチャー企業「UniMedical株式会社」(代表取締役:稲垣 大(循環器専門医))を2023年12月19日に設立しました。プロジェクトの推進と新規ベンチャー企業の立ち上げによって、脳磁場・心磁場などの生体磁場を高感度かつ簡便に測定可能な量子スピンセンサの社会実装が飛躍的に加速することが期待されます。
研究の背景
これまで、脳磁場などの微弱な生体磁場(ピコテスラレベル)を実用レベルで検出可能な磁気センサは、超伝導素子を利用したSQUIDのみでした。SQUID心磁計および脳磁計は、高度な疾病診断が可能な優れた医療装置であるものの、極低温動作であるため液体ヘリウムを必要とし、その分、費用が高額になります。また、構造上、センサと測定対象に距離があるため、空間分解能が高くないという課題もあります。一方、磁気抵抗効果を用いた磁気センサは、安価で、コンパクト、低消費電力などの特徴があり、広範な普及が期待できます。しかし、従来の磁気抵抗型磁気センサは感度が低く、用途が限定的でした。
大兼幹彦教授らの研究グループは、NEDO先導研究プロジェクト「量子スピントロニクス脳磁計の開発」(2022年5月~2023年3月)において、室温動作の量子スピンセンサを開発し、室温下でSQUIDに迫る性能を実現しました。量子スピンセンサは、トンネル磁気抵抗 (TMR) 効果(注6)を利用した磁気センサであり、図1に示す通り、脳磁場の周波数帯において、100 フェムトテスラ以下の極めて高い磁場分解能を有しており、脳磁計の試作も進んでいます。
今回の取り組み
以上の研究成果をもとに、大型国家プロジェクトである、SIPプロジェクト第3期「先進的量子技術基盤の社会課題への応用促進」課題において「量子スピンセンサの開発とユースケースの開拓・実証」が採択され、量子スピン脳磁計および心磁計の社会実装に向けた研究開発がスタートしました。図2に示す通り、プロジェクトでは、新規材料開発等によって量子スピンセンサの性能をさらに50倍改善し、画期的な脳磁計・心磁計を実現することを目標としています。圧倒的に高性能化された量子スピン脳磁計を実現し、てんかんや認知症等の脳疾患診断に対する有用性を示すことが目的です。
また、プロジェクトで開発する量子スピン心磁計を医療機器として社会実装するために、循環器専門医である、稲垣 大 医師を代表取締役とする、東北大学発ベンチャー企業「UniMedical株式会社」を2023年12月19日に設立しました。室温動作・磁気シールドレス(注7)・コンパクト・低コストの特長を有する心磁計を早期に実現することを目指しています。量子スピン心磁計による簡便で精度の高い検査が実現されれば、致死的疾患の早期発見が可能になり、数多くの心疾患患者の命を救うことが期待されます。
今後の展開
約4年半のSIPプロジェクトの推進とベンチャー企業の設立によって、競合グループに対して圧倒的な優位性を保ち、量子スピン脳磁計および心磁計が実用化されることが期待されます。また、超高感度の量子スピンセンサは、生体計測以外にも、総務省SCOPEプロジェクトで推進している社会インフラの検査、精密部品の微小異物検査、バッテリーの電流モニタリングなど、様々な用途に応用することが可能であり、幅広い領域におけるユースケースの開拓と実証がなされていくと考えられます。
図1 開発された量子スピンセンサの性能(左)と量子スピン脳磁計試作機(右)
量子スピンセンサの性能は、脳磁場の周波数帯において<100フェムトテスラの極微弱磁場を検出可能な性能であり、SQUIDの性能に迫るものである。
量子スピン脳磁計試作機は64チャンネルのセンサを配置し、脳磁場マッピングデータを取得可能である。
図2 SIPプロジェクトでの実施内容と目標
東北大学、東北医科薬科大学、大塚製薬(株)、三菱電機(株)、スピンセンシングファクトリー(株)、UniMedical(株)の産学連携体制で目標とする量子スピン脳磁計・心磁計の社会実装を目指す。
謝辞
本研究はNEDO先導研究プロジェクト「量子スピントロニクス脳磁計の開発」、内閣府SIP 第3期課題「先進的量子技術基盤の社会課題への応用促進」(研究推進法人:QST)「量子スピンセンサの開発とユースケースの開拓・実証」、総務省「SCOPEプロジェクト」、文部科学省「次世代X-nics半導体創生拠点形成事業」、および、東北大学先端スピントロニクス研究開発センター、国際集積エレクトロニクス研究開発センター、の支援によって実施されました。
用語説明
注1 量子スピンセンサ(通称:TMRセンサ)
極薄の絶縁体を二層の強磁性体で挟んだ構造の素子において、それぞれの磁化の向きで素子抵抗が変化するトンネル磁気抵抗(TMR)効果を用いた磁気センサ。これを用いた脳磁計(注2)・心磁計(注3)は、高空間分解能、高ノイズ耐性、低コスト、ウェアラブル性といった様々なメリットがあり、次世代型の生体磁場計測機器として期待されている。
注2 脳磁計
脳の神経細胞を流れる微弱な電流から発生する磁場(脳磁図)を測定する装置。電気で測定する脳波と比べて高空間分解能(mm単位)かつ高時間分解能(ms単位)で脳の活動部位を推定することが可能である。
注3 心磁計
心筋の電気的な活動によって生じる磁場(心磁図)を高感度磁気センサで計測する装置。電気で測定する心電図に対して心疾患を高い精度で診断することが可能である。
注4 戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)
総合科学技術・イノベーション会議が自らの司令塔機能を発揮して、府省の枠や旧来の分野の枠を超えたマネジメントに主導的な役割を果たすことを通じて、科学技術イノベーションを実現するために新たに創設するプログラム。
https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/
注5 SQUID
超伝導量子干渉素子の略、(Superconducting Quantum Interference Device)。超伝導リングにジョセフソン接合を設けた、微小な磁場を測定する磁気センサ。ピコテスラ以下の微弱磁場も検出可能であるが、素子を超伝導状態に冷やす必要があり、液体ヘリウムが必須である。
注6 トンネル磁気抵抗効果
強磁性体/絶縁体/強磁性体の3層多層膜において、絶縁体を流れるトンネル電流が、二つの強磁性体の磁化の相対角度によって変化する現象。この量子現象を利用することで、高感度な磁気センサとして応用ができる。
注7 磁気シールドレス
磁気シールドルームは、微弱な磁場を測定するために、外部環境磁場ノイズを遮蔽するように設計された部屋。量子スピンセンサは、この特殊な部屋を原理的に必要とせず、磁気シールドレスで微弱な生体磁場を計測することができる。