野球における投球時の指先のすべりを初めて定量化!
- 投球パフォーマンスの向上や投手の障害予防などへの貢献に期待 -
2025/03/28
発表のポイント
概要
野球の投球において、ボールの種類や指先のすべり止めの違いによる「すべり」は重要な要素であり、これまでに活発に議論されてきました。しかし、これまでの議論は選手の主観的な感覚に基づくものであり、ボールをリリースする過程で本当にすべっているのか、本当ならどの程度すべっているのか、また、そのすべり距離の違いが投球パフォーマンスにどのような影響を与えるのかは、十分に解明されていませんでした。
東北大学大学院工学研究科の山口健教授、西駿明准教授、鈴木颯太大学院生(研究当時)、鈴木紳之介大学院生、ならびにNTT コミュニケーション科学基礎研究所の那須大毅主任研究員と福田岳洋客員研究員の研究グループは、高速度カメラを用いた解析により、ボールリリース過程における指先とボール間のすべり距離を推定する手法を開発しました。その結果、水で指先を濡らした場合に比べてロジン粉末などのすべり止めを使用した場合、ボールリリースまでのすべり距離が1/2以下(平均でおよそ8 mm)となることがわかりました。さらに、すべり距離が増加すると球速や回転数、コントロールが低下することが確認されました。特にすべり距離と回転数には強い負の相関が見られました。
本成果は、ピッチングにおけるボールリリースのメカニズムを解明し、投球パフォーマンスの向上、障害予防、用具の開発などに貢献すると期待されます。
本研究成果は、3月27日付で科学誌Scientific Reportsに掲載されました。

図1. ボールリリースまでのすべり距離と、摩擦条件、ボール回転数それぞれの関係
(a) 直球投球時における指先とボール間のすべり距離の摩擦条件による違いを示した箱ひげ図。グラフ中の白抜きプロットは各投手の5回の投球における平均値、黒塗りプロットは6名の投手の平均値を示す。(b) 指先とボール間のすべり距離とボール回転数の関係。グラフ中のプロットの色の違いは投手ごとのデータを表す。
研究の背景
メジャーリーグベースボール(MLB)では、2021年6月21日から粘着性のある物質の使用が厳しく禁止された結果、翌月以降の投手のパフォーマンスが低下したことが報告されています。これは摩擦の変化による回転数や制球力の低下が影響していると考えられます。最近の研究では、指とボールの革のシートとの摩擦係数(注3)(摩擦度合いの指標)が、ロジンなどのすべり止めの使用、ボールの種類によって変化することが明らかになっています[1,2]。しかし、摩擦係数の違いがボールリリース時のボールの動きやピッチングパフォーマンスにどのように影響するのかは不明でした。投手は指とボールの摩擦の違いを「すべる」「しっかり握れる」と感じるものの、摩擦係数が低いとき(例えば、指が濡れている場合)にボールはどのくらいすべるのか、すべり止めを使用するとすべりがどのくらい抑えられるのかについては研究例がなく、主観的な議論にとどまっています。
研究グループは、高速度カメラを用いて直球(フォーシーム(注4))の投球時における指先とボールの動きを撮影し(図2)、ボールをリリースする過程での両者のすべり距離を、異なる摩擦条件下で明らかにしました。さらに、すべり距離と球速、回転数、コントロールなどの投球パフォーマンスとの関係も明らかにしました。

図2. 指に何もつけない条件における投球時の高速度カメラ像(2000 fpsで撮影:fpsは1秒当たりの画像枚数)。親指がボールから離れてからボールがリリースされるまでの時間(ボールリリース過程)はわずか8ミリ秒であることが分かる。この間にボールは人差指と中指を支点に転がり、バックスピンが発生する。この期間におけるボールの回転数とボール中心に対する指先の動きから、計算によりすべり距離を求めた。
今回の取り組み
ボールリリース過程におけるボールの回転数と、ボール中心に対する指先の動きから、すべり距離を推定する手法を開発しました。その結果、いずれの条件においてもボールが親指から離れた直後にわずかにすべりが生じます。その後、水で濡らした場合を除き、指が縫い目に引っかかることで、すべりが抑えられることがわかりました。そして、ロジンや松脂スプレーを使用すると、指がより長く縫い目に引っかかり、すべり距離が短くなることが確認されました。一方、水で濡らした場合は縫い目に指が引っかからず、リリースの過程全域ですべりが発生し、ロジンや松脂スプレーを使用した場合に比べて2倍以上の大きなすべり距離(平均で22 mm)を示しました(図3)。このことから、ロジンなどのすべり止めが投球中のすべりを抑制する効果を持つことが明らかになりました。また、すべり距離の増加とともに球速、回転数が低下すること、ボールがより上方に到達するようになることが明らかになりました。特にすべり距離の増加に伴い、回転数が顕著に減少することがわかりました。
今後の展開
本研究は、これまで主観的にしか語られてこなかった野球のピッチングにおける指先とボール間のすべりに着目し、すべり距離の定量化と摩擦条件による違いを明らかにした初めての研究です。本研究の成果は、異なる摩擦条件下でのボールリリースのメカニズムの解明に貢献し、投球パフォーマンスの向上や投手の障害予防、用具の開発につながることが期待されます。
本研究では、投手に一定の球速(130 km/h)で投球するよう指示しましたが、水濡れ条件ではロジン塗布条件に比べ、球速が有意に低下しました。これは、指先のすべりを投手が知覚し、投球動作を調整したためと考えられます。今後は、摩擦条件の変化による投球動作の変容を、全身の動作や筋活動の解析を通じて明らかにし、すべりやすいボールでもパフォーマンスが低下しない投球動作や、ケガのリスクを低減する投球動作の解明を進めていく予定です。
用語説明
(注1)ボールリリース過程
直球を投げる際、親指がボールから離れてから、人差し指と中指が離れてリリースされるまでの時間。
(注2)ロジン
炭酸マグネシウム粉末と松脂(まつやに)の混合粉末。メジャーリーグベースボール(MLB)および日本野球機構(NPB)において投手のすべり止めとして使用が認められている。
(注3)摩擦係数
2面間に作用する摩擦力をその時に作用する垂直方向の力で除した値。一般に、この値が小さいほどすべりやすく、大きいほどすべりにくい。
(注4)フォーシーム
野球でボールの縫い目をシームと言う。フォーシームは直球のことで、ボールが縦方向に1回転する間にボールのシームが4回見えるためこの名称となった。このほか、投手の利き手方向に沈む軌道を描き、シームが縦に1本に見えるのがワンシーム。ストレートに近いスピードで、小さく投手の利き腕方向に小さく曲がる投球がツーシーム。
引用文献
https://doi.org/10.3389/fspor.2020.00030
https://doi.org/10.1038/s43246-022-00317-4
2022年12月15日付 東北大学プレスリリース『投手が使用するすべり止め剤の効果を初めて定量的に実証 ~すべりにくい野球ボールの導入やすべり止め剤の開発に期待~』
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2022/12/press20221215-01-baseball.html
論文情報
著者: Takeshi Yamaguchi*, Souta Suzuki, Shinnosuke Suzuki, Toshiaki Nishi, Takehiro Fukuda, Daiki Nasu
*責任著者: 東北大学大学院工学研究科 教授 山口健
掲載誌: Scientific Reports
DOI: 10.1038/s41598-025-93632-y