半導体内の電子スピン波を自由に制御できる技術を確立
- 電子スピン波を活用する次世代情報処理基盤を開拓 -
2025/04/10
発表のポイント
- 従来の技術と比べて、半導体の中で電子スピン波(注1)の波長や空間構造をより自由に制御可能な新たな手法を開発しました。
- 本手法は、半導体のみならず磁性薄膜や二次元材料への応用も可能です。
- 本技術を拡張することで、電子スピン波を利用した次世代情報処理技術への応用展開につながると期待されます。
概要
半導体におけるスピン状態の精密な制御は、次世代のスピントロニクスデバイスの実現に不可欠です。特に半導体中でスピンのらせん構造である電子スピン波が長時間維持される永久スピン旋回(PSH)状態(注2)は情報ストレージや演算デバイスの基盤技術として注目されていますが、従来の電子スピン波生成技術では、波数(単位長さに含まれる波の数)の柔軟な制御ができない制約がありました。
東北大学大学院工学研究科の菊池奎斗大学院生、石原淳助教、山本壮太特任助教、好田誠教授(兼 量子科学技術研究開発機構 量子機能創製研究センター プロジェクトリーダー)、筑波大学数理物質系の大野裕三教授、東京理科大学先進工学部物理工学科の宮島顕祐教授らの研究グループは、プログラム可能な空間光変調器(SLM)(注3)を用いた構造化光(注4)を利用し、ガリウム・ヒ素(GaAs)/アルミニウム・ガリウム・ヒ素(AlGaAs)の量子井戸(注5)中に任意の電子スピン波を直接転写することに成功しました。今回の技術では従来技術の制約を克服し、より高度なスピン構造制御が可能となりました。
本手法は半導体スピントロニクスの新たな応用可能性を拓き、情報処理デバイスや磁性薄膜、二次元材料への展開が期待されます。
本成果は、米国物理学会の学術誌Physical Review Appliedに4月7日付で掲載され、Editors' Suggestionにも選ばれました。

図1. (a)~(c)水平方向に約147画素、水平方向に約74画素、垂直方向に約98画素ごとに2πの位相シフトを誘起する入力電圧をSLMに印加し、試料から反射されたポンプビームの光から円偏光成分S3/S0を抽出した。(d)-(f)それぞれ(a)-(c)に対応する励起直後のt=0 psにおけるカー信号の空間マップ。
研究の背景
半導体量子井戸におけるスピン状態の制御は、低消費電力デバイスの実現に向けた重要な技術です。特に、PSH状態は、スピン軌道相互作用(注6)を活用してスピン構造を形成し、長距離スピン伝播を可能にするため、次世代のスピントロニクスデバイスの基盤技術として注目されています。
従来、過渡スピン回折格子分光法(TSG)やポンプ・プローブカー回転顕微鏡(STRKR)と言った技術を用いた電子スピン波の生成が研究されてきました。しかし、TSGには光学素子により生成される電子スピン波の周期が固定されているため、電子スピン波の周期を変更する柔軟性に欠けるという問題点がありました。またSTRKRには、一様な偏光を使用するため、空間スピン構造の形成に制限があります。
本研究グループは、これらの問題を解決するため、SLMを用いた構造化光による電子スピン波の直接転写技術を開発しました。
今回の取り組み
本研究では、SLMを用いて光の偏光パターンを制御し、その偏光分布を半導体中のスピン偏極として転写する手法を開発しました。具体的には、以下の手順で電子スピン波を生成しました。まず、SLMに周期的な位相変調信号を入力することで、空間的に45°直線偏光→左回り円偏光→−45°直線偏光→右回り円偏光が繰り返し配置された偏光パターンを生成しました。SLMによってプログラムされたこの周期的な偏光パターンをGaAs/AlGaAs量子井戸に照射し、周期構造を持つ電子スピン波を光励起しました。生成された電子スピン波の状態はSTRKRを用いてそのスピン偏極をマッピングすることで確認しました。本手法により、電子スピン波の波数、周期、空間構造を自由に制御できることを実証しました。
今後の展開
本研究の成果は、電子スピン波を利用した情報処理技術の高度化に貢献するだけでなく、磁気デバイスの高効率化を狙った磁性薄膜への応用や、遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)(注7)やペロブスカイト半導体(注8)の二次元物質への材料展開、ホログラフィックイメージング(注9)との組み合わせによる光情報技術への応用も期待されます。さらに、本技術を拡張することで、電子スピン波を利用した新しい情報演算技術の開発も視野に入ります。

図2. (a)ポンプビームの詳細図。ポンプビームは初期状態では一様な45°直線偏光である。この偏光構造が空間光変調器(図では透過配置で示されているが、実際には反射型が使用されている)によって空間的に変調され、試料に到達する前にビームサイズが縮小され、サンプル表面に空間偏光パターンが形成される。(b)偏光の空間パターンとスピンの空間パターン(電子スピン波)の関係。サンプル表面の偏光の空間パターンは、光学的遷移選択則(注10)に従って円偏光に対応するスピンを励起する。
謝辞
本研究はJSPS科研費(JP21H04647、JP21K14528)、JST 創発的研究支援事業(JPMJFR203C)、JST-CREST(JPMJCR22C2)、JST-ASPIRE 先端国際共同研究推進事業(JPMJAP2338)、JSTさきがけ(JPMJPR24L4)、JST 次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2114)の助成を受けたものです。
用語説明
(注1)電子スピン波
特定のスピン軌道相互作用の条件下でスピンのらせん状パターンが形成され、波のように扱える状態のこと。電子スピン波は、スピントロニクスデバイス、スピンベースの情報処理、量子コンピューティングなどへの応用が期待されている。
(注2)永久スピン旋回(PSH)状態
特定のスピン軌道相互作用下で、半導体中でスピンのらせん構造(電子スピン波)が長時間維持される状態。
(注3)空間光変調器(SLM)
液晶を利用して、画素ごとに光の位相・振幅・偏光を空間的に制御できるデバイス。
(注4)構造化光
空間的に偏光・位相・振幅が制御された特殊な光。
(注5)量子井戸
電子の動きを2次元の平面に閉じ込めた構造。1次元の線に閉じ込めた構造を量子細線、0次元の点に閉じ込めた状態を量子ドットと言う。
(注6)スピン軌道相互作用
ある電場中において電子の運動とスピンの向きが相互作用する相対論的な効果。
(注7)遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)
遷移金属(Mo, W など)とカルコゲン元素(S, Se, Te など)からなる層状構造の二次元材料の総称。
(注8)ペロブスカイト半導体
ペロブスカイト(灰チタン石)と同じ結晶構造を持つ半導体材料の総称。主に光電子デバイス(太陽電池・LED・レーザー・光検出器)で注目されている。
(注9)ホログラフィックイメージング
光の位相や振幅情報を記録・再生し、空間的な光の分布を精密に制御する技術。
(注10)光学的遷移選択則
電子がエネルギー準位間で遷移する際に、どの遷移が許され、どの遷移が禁止されるかを決める量子力学的なルール。特定の偏光を持つ光を照射すると、特定のスピン状態のみを励起できる。
論文情報
著者: Keito Kikuchi, Jun Ishihara*, Miari Hiyama, Sota Yamamoto, Yuzo Ohno, Takachika Mori, Kensuke Miyajima, and Makoto Kohda†
*責任著者:東北大学大学院工学研究科 助教 石原 淳
†責任著者:東北大学大学院工学研究科 教授 好田 誠
掲載誌:Physical Review Applied
DOI:10.1103/PhysRevApplied.23.044017
URL:https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevApplied.23.044017