次世代半導体材料SnSの大面積単層結晶の合成技術を確立
- 光電融合デバイスや高速情報処理技術への応用が期待 -
2025/06/03
発表のポイント
概要
原子1層(単層)で構成される「二次元物質」は、次世代半導体材料として注目され、研究開発が活発に進められています。これらの材料は優れた光電特性を備えており、なかでも電子の磁気的性質(スピン)を「電子スピン波」として活用することで、光電融合デバイスや高速情報処理技術への応用が期待されています。地球上に豊富に存在し毒性もないスズ(Sn)と硫黄(S)の化合物である二次元原子層物質の硫化スズ(SnS)は、このような新奇スピン機能の発現が期待される材料の一つです。その特性を発揮するには単層であることが不可欠ですが、これまで大面積の単層SnSを得るのは困難でした。
東北大学大学院工学研究科の小山和輝大学院生、石原淳助教、好田誠教授、量子科学技術研究開発機構高崎量子技術基盤研究所量子機能創製研究センターの圓谷志郎上席研究員、英国ケンブリッジ大学工学部のStephan Hofmann教授らは、SnSの大面積単結晶の成長に成功し、さらにその結晶を単層厚さに薄膜化する新たな手法を確立しました。成長したSnS結晶は、NanoTerasu(ナノテラス)の高輝度放射光を利用した先端測定技術を含む、多様な手法で評価されました。
本研究における大面積の次世代半導体材料の作製技術は、革新的なスピントロニクスデバイスの実現に貢献することが期待されます。
本研究成果は、2025年5月20日付で科学誌Nano Lettersに掲載されました。
研究の背景
近年、生成AI技術の急速な進展により、大量の情報処理を担うデータセンターの整備が加速しています。これに伴い、高速かつ効率的な情報通信を実現するエレクトロニクス技術の重要性がますます高まっています。
このような背景のもと、次世代の半導体デバイスに向けた新材料として、原子1層分の厚さを持つ「二次元物質」への注目が集まっています。中でも、電子のスピンやバレーといった量子自由度を活用する「スピントロニクス(注3)」や「バレートロニクス(注4)」といった革新的な情報処理技術の実現に向け、これらを支える基盤材料の開発が重要な課題となっています。
本研究では、スズ(Sn)と硫黄(S)から構成される層状半導体「一硫化スズ(SnS)」に着目しました。SnSは、化学的に安定かつ無毒であることから、環境負荷の少ない次世代材料として期待されています。特に単層厚さのSnSは、空間反転対称性の破れにより、室温での強誘電性が実験的に確認されており、さらにその構造対称性に基づき、スピン情報を長距離にわたり保持する「永久スピン旋回(PSH)」状態(注5)の存在も理論的に示唆されています。
しかしながら、従来の化合物前駆体(注6)を用いた結晶成長では、不純物の混入により本来の物性を正確に評価できなくなる可能性があるという課題がありました。また、SnSは層間相互作用が強いため、従来の機械的剥離法では大面積の単層結晶を得ることが困難でした。
今回の取り組み
本研究では、化合物前駆体を用いる従来の手法ではなく、元素状のスズ(Sn)および硫黄(S)を用いた化学気相成長(CVD)法により、高品質なSnSの選択的成長に成功しました。熱力学状態図に基づいて反応を制御することで、SnSともう一つの安定相である二硫化スズ(SnS2)との間で相の切り替えが自在に行える成長条件を確立しました。成長した半導体結晶は、3GeV高輝度放射光施設NanoTerasu(ナノテラス)におけるX線吸収分光法をはじめとした様々な手法により評価しました。
また、これまで困難とされていたSnSの大面積かつ単層レベルでの成長を、図1に示すようなCVD成長と昇華プロセスの組み合わせにより実現しました。図2に示すような単層結晶は、安全かつ高い再現性を持つ昇華プロセスにより得られます。さらに、この昇華プロセス中の薄膜化挙動を、走査型電子顕微鏡(SEM)を用いたその場観察により可視化することにも成功しました。
今後の展開
本研究により確立された、安全かつスケーラブルな手法による大面積・単層のSnS結晶の作製技術は、SnSが有する強誘電性やPSH状態といったユニークな物性の探究を安定的に推進するための基盤となります。今後は、この低コスト・高品質な材料供給技術を活かし、スピントロニクスやバレートロニクス、光電子デバイスへの応用に向けた素子開発が加速することが期待されます。
また、SnSは有害元素を含まず環境負荷の小さい材料であることから、持続可能な次世代情報通信技術を支えるキーマテリアルとして注目されており、今後はその応用に向けた研究が進展していく見込みです。特に、二次元材料と光を組み合わせたスピントロニクス技術の発展により、低消費電力で高性能なロジック素子や、多重並列情報処理技術を活用した量子デバイスへの応用展開も視野に入れた研究開発が期待されます。
謝辞
本研究はJSPS科研費(JP21H04647)、JST創発的研究支援事業(JPMJFR203C)、JST-CREST(JPMJCR22C2)、JSTさきがけ(JPMJPR24L4)、東北大学スピントロニクス国際共同大学院プログラムの助成を受けたものです。
用語説明
(注1)化学気相成長(CVD)法
加熱された反応器内に気体状の前駆体を導入し、基板上で反応させて、二次元材料の原子レベルの薄膜を合成する方法。スケーラブルかつ高品質な二次元材料の合成に適している。
(注2)電子スピン波
特定のスピン軌道相互作用の条件下で、スピンがらせん状のパターンを形成し、波のように振る舞う状態を指す。電子スピン波は、スピンを用いた情報処理や量子コンピューティングなどへの応用が期待されている。
(注3)スピントロニクス
より高速で省電力な電子デバイスを開発するために、電荷に加えて電子に内在する磁気的性質(スピン)を活用する技術。
(注4)バレートロニクス
材料のバンド構造におけるエネルギーの局所的な最小値である「バレー」の自由度を活用して、情報を符号化・操作する技術。
(注5)永久スピン旋回(PSH)状態
特定のスピン軌道相互作用のもとで、半導体内において電子スピンのらせん状構造(スピン波)が長時間保たれる状態。
(注6)前駆体
基板の上で反応し、目的の二次元材料を成長させるために必要な元素を供給する材料のこと。
論文情報
著者: Kazuki Koyama, Jun Ishihara, Nozomi Matsui, Atsuhiko Mori, Sicheng Li, Jinfeng Yang, Shiro Entani, Takeshi Odagawa, Makito Aoyama, Chaoliang Zhang, Ye Fan, Ibuki Kitakami, Sota Yamamoto, Toshihiro Omori, Yasuo Cho, Stephan Hofmann, and Makoto Kohda*
*責任著者:東北大学大学院工学研究科 教授 好田 誠
掲載誌:Nano Letters
DOI:10.1021/acs.nanolett.5c01639
URL:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.nanolett.5c01639