汽水湖の生態系にとっては農薬よりも温暖化による塩分変化の影響が深刻

- 動物プランクトンの農薬暴露実験により判明 -

2025/06/12

発表のポイント

  • 汽水湖(注1)の生態系は農薬の流入や塩分変化による影響を受けることが指摘されてきましたが、それらの相対的なリスクは不明でした。
  • 汽水湖に卓越して出現する動物プランクトン、キスイヒゲナガケンミジンコ(注2)を対象に、様々な塩分条件下で急性毒性試験を実施しました。
  • キスイヒゲナガケンミジンコは農薬暴露よりも、海面上昇や渇水などによる塩分変化に強い影響を受けることがわかりました。

概要

汽水生態系は、淡水などに比べて動物プランクトンの種数が少なく、農薬汚染に脆弱である可能性が指摘されていました。しかし、動物プランクトンに対する農薬毒性評価は淡水種で行われてきたものの、汽水性の種を対象にした研究は行われていませんでした。また、汽水域では塩分の変化も動物プランクトンのストレス要因となっていることが指摘されていました。

東北大学大学院生命科学研究科の鈴木碩通大学院生(博士課程)と占部城太郎教授(現名誉教授)、福井県里山里海湖研究所の宮本康研究員、東北大学大学院工学研究科の高橋真司技術専門職員らの研究グループは、汽水湖の代表的な動物プランクトンであるキスイヒゲナガケンミジンコを対象に、最も一般的な農薬の1つであるイミダクロプリド(注3)の毒性評価を様々な塩分条件で実施しました。その結果、本種は農薬と塩分変化の両方に影響されるものの、その影響の大きさは塩分変化の方がはるかに大きいことが判明しました。近年、温暖化に伴う汽水域での塩分上昇が世界的に生じています。本研究から、汽水湖の生態系を保全する上で、塩分変化にこれまで以上に注視する必要があることが示されました。

本研究成果は2025年6月2日付で科学誌Ecotoxicology and Environmental Safetyにオンライン公開されました。

研究の背景

動物プランクトンは植物プランクトンを食べ、自身は魚などに食べられることで生態系を支えています。このため、動物プランクトンに対する農薬など有害物質の毒性は生態系全体に大きな影響を及ぼすことになります。最も一般的な農薬の1つであるイミダクロプリドは、使用量が多いことから、様々な生態系に影響を及ぼすと指摘されています。なかでも、淡水などに比べて動物プランクトンの種数が少ない沿岸の汽水湖は、農薬による汚染に対して、特に脆弱な生態系である可能性が指摘されています。しかし、農薬の毒性評価は淡水の動物プランクトン種で調べられてきたものの、汽水性の動物プランクトン種では行われていませんでした。また、汽水湖では塩分が海水や河川水の流入量に応じて変化しますが、その塩分変化も動物プランクトンの生存率に影響を与えることが報告されています。特に、温暖化による海面上昇は汽水湖の塩分を大きく変化させる可能性があります。このため、汽水性動物プランクトンの生存に影響をもたらす農薬の要因を正しく評価するためには、塩分変化を考慮した毒性評価が不可欠でした。

今回の取り組み

本研究では、東アジアの汽水域における代表的な動物プランクトン種であるキスイヒゲナガケンミジンコ(Sinocalanus tenellus:図1)を対象とした急性毒性試験を様々な塩分のもとで実施しました。まず、宍道湖(島根県)・水月湖(福井県)・東谷地干潟(宮城県)の3ヶ所で採集した成熟個体を用い、生息地の塩分を含む5段階の塩分それぞれで、日本の湖沼や河川で観察されるイミダクロプリド濃度や、その10~100倍程度の濃度に4日間暴露しました。その間、毎日生死を確認し、死亡率とイミダクロプリド濃度・塩分との関係を個体レベルで評価しました。さらに、東谷地干潟から様々な発達段階(注4)のキスイヒゲナガケンミジンコを採集し、生活史を通じたイミダクロプリドと塩分変化の影響を調べました。

その結果、キスイヒゲナガケンミジンコの生存は農薬暴露と塩分変化の両方に影響を受けることがわかりました。しかし、農薬暴露の影響は特に濃度が高い場合に限られ、予想に反し、自然環境で通常見られる農薬濃度の範囲では、塩分変化のほうが生存率への影響は遥かに大きいことが判明しました(図2)。また、生活史全体を通じた実験では、どの発達段階の個体数でも農薬暴露の影響は検出されないのに対して、塩分変化は特に幼生の生存率を有意に低下させることがわかりました。

これらの結果から、少なくとも短期的な時間スケールでは、キスイヒゲナガケンミジンコの生存に対しては、河川や湖沼で報告されている濃度でのイミダクロプリドの暴露よりも、わずかな塩分変化の方が大きな影響を及ぼすことが明らかになりました。また、本研究の結果から、近年指摘されている汽水湖での農薬によるとされている影響は、塩分変化影響でも説明できることが示唆されました。

今後の展開

汽水生態系に対しては、農薬の流入と塩分変化の両方がリスク要因となることが指摘されていたにも関わらず、動物プランクトンに対するそれらリスクを同時に検証した研究はありませんでした。今回得られた研究成果は、汽水湖の生態系を下支えする動物プランクトンの動態に関して、農薬暴露の影響評価だけでは不十分であり、塩分変化といった背景要因を考慮する必要があることを示しています。近年、温暖化に伴う海面上昇や渇水等により、汽水域での塩分上昇が世界的に懸念されています。我が国沿岸に点在する汽水湖生態系の将来を見通すとき、今まで以上に生息種に対する塩分の変化影響を理解することが重要になると考えられます。


図1. 実験に用いたキスイヒゲナガケンミジンコ(Sinocalanus tenellus)の成体

図2. イミダクロプリド及び塩分変化によるキスイヒゲナガケンミジンコの死亡増加率。死亡増加率をグラデーションと等値線で示している。左:縦軸の範囲は0~50μg/Lで、農薬散布直後の水田における濃度をカバーしている。右:縦軸の範囲を0~1μg/Lにクローズアップした図で、農薬使用期間中に自然の汽水域(瀬戸内海燧灘 [ひうちなだ] と宍道湖)で観測された値を示している。

謝辞

本研究はソルト・サイエンス研究財団研究助成(2301)の助成により実施されました。本論文は『東北大学2025年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業』の支援を受け、Open Accessとなっています。

用語説明

(注1)汽水湖

沿岸の河口域に発達し、河川水と海水の双方が流入する湖で、塩分は淡水より高いが海水より低い。汽水湖の塩分は、河川水と海水の流入量の割合、湖の形状や深さによって決まるが、一般に、少雨渇水により河川流入量が減ったり、海水面が上昇したりすると海水流入量が増加し塩分は上昇する。一方、降雨による洪水で河川からの流入量が増えれば、塩分は下がる。

(注2)キスイヒゲナガケンミジンコ

エビ・カニと同じ甲殻類で、橈脚亜綱(とうきゃくあこう)のうちカラヌス目に属する動物プランクトン。成熟個体の体長は1.5~2mm程度、日本を含む東アジアの汽水湖など汽水域に広く分布している。

(注3)イミダクロプリド

1992年に日本で農薬登録され、その害虫被害防除効率の高さから世界中で使用されている。容易に水に溶ける性質を持ち、湖沼や河川に流出することで、様々な水生生物に悪影響を及ぼすと懸念されている。

(注4)発達段階

キスイヒゲナガケンミジンコを含む橈脚亜綱では、卵から孵化するとノープリウス幼生となり、成長に伴って脱皮し、コペポディド幼生へと変態した後に、成熟し成体となる。成体になると、オスとメスが交尾して産卵する。産卵された卵の一部は休眠卵となり、湖底に沈降する。休眠卵は、環境が好適になると孵化し、成長して繁殖する。カラヌス目の種では、休眠卵が数年から数十年の休眠を経て孵化することも知られている。

論文情報

タイトル: Are brackish water copepods susceptible to neonicotinoid pesticides? An experimental assessment across different salinity levels
著者: Hiromichi Suzuki*, Yasushi Miyamoto, Shinji Takahashi, Jotaro urabe
*責任著者: 東北大学大学院生命科学研究科 博士課程後期2年 鈴木碩通
掲載誌: Ecotoxicology and Environmental Safety
DOI: 10.1016/j.ecoenv.2025.118439

お問合せ先

< 研究に関すること >
東北大学大学院生命科学研究科 名誉教授 占部 城太郎(うらべ じょうたろう)
TEL:022-795-5619
E-mail:urabe@tohoku.ac.jp
< 報道に関すること >
東北大学大学院生命科学研究科広報室 高橋 さやか
TEL:022-217-6193
E-mail:lifsci-pr@grp.tohoku.ac.jp
東北大学工学研究科・工学部 情報広報室
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E-mail:eng-pr@grp.tohoku.ac.jp
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