患者に優しい服薬モニタリングを可能に

- 高感度量子スピンセンサの医療応用と次世代技術への展開 -

2025/10/30

【工学研究科研究者情報】
大学院工学研究科応用物理学専攻 教授 安藤康夫
研究室ウェブページ

発表のポイント

  • 服薬アドヒアランス(注1)向上のために注目される「デジタルメディスン」(注2)の信号を、非接触・遠隔で検出することに世界で初めて成功しました。
  • 従来必要だったパッチ型機器の貼り付けが不要となり、患者の負担を大幅に軽減できる服薬モニタリング技術を実現しました。
  • 本技術は医療応用のみならず小型電子機器の省エネ化への応用も期待されます。

概要

処方通りに薬を服用すること(服薬アドヒアランス)は、治療効果を引き出すうえで不可欠であり、残薬削減による医療費の節約にもつながります。その有効な手段として注目されているのが「デジタルメディスン」を活用した服薬モニタリングです。集積回路(IC)が内包されたこの錠剤を服用するとICが胃酸などと反応して小さな電気信号を発し、その信号を利用して服薬の有無が記録されます。従来は、この信号を受け取るためのパッチ型機器を皮膚に貼り付ける必要があり、皮膚トラブルや入浴制限といった患者の負担が課題でした。

東北大学大学院工学研究科の窪田崇秀特任准教授、安藤康夫教授らの研究グループは、「デジタルメディスン」中のICが発生させる微弱な磁場に着目し、それを高感度な量子スピンセンサ(注3)で生体内を模した生理食塩水中において、非接触・遠隔で検出することに成功しました。実験では胃の中心から体表に相当する約10 cmの距離から信号を捉えることができました。本成果は、患者負担を大幅に減らし、服薬モニタリングの精度向上と普及を加速させるものです。

本成果は米国東部夏時間10月29日にThe 70th Annual Conference on Magnetism and Magnetic Materials(共催:米国物理協会出版、米国電気電子学会磁気部会)の招待講演として発表されました。

研究の背景

処方された薬が飲まれずに残り、最終的に捨てられてしまうことがあります。患者が十分な治療効果を得られないだけではなく、医療資源が有効に活かされないという状況は、医療費の増大が問題視されている社会において看過できない課題です。その解決策として、注目されているのが服薬アドヒアランスを定量的に把握する技術です(図1)。

経口摂取可能な極小集積回路(IC)を内包した医薬品「デジタルメディスン」は、服薬アドヒアランス定量化技術の代表例です。服用すると、内蔵ICが胃酸などの電解質と反応して微弱な電気信号を発生し、それを利用して服薬の有無を正確に記録できます。しかし、従来製品では、ICが発する電気信号を検出するためにパッチ型機器を腹部に直接貼り付ける必要がありました。長期装着に伴う皮膚トラブルや入浴の制限といった生活上の負担が問題視され、非接触で信号を検出できる新技術の開発が強く求められていました。


図1. 服薬アドヒアランスの重要性

今回の取り組み

研究グループは、この信号源となる微小な電流により磁場が生成されることに着目しました。磁場は生体組織や空間に妨げられることなく伝わるため、原理的に非接触での検出が可能です。しかし、この磁場は数十~数百ピコテスラ(注4)と非常に小さく、一般的なセンサでは検出できませんでした。

この課題を克服する鍵となったのが、安藤康夫教授らが開発してきた量子スピンセンサです。このセンサはピコテスラ台の磁場を検出できる性能を持つことに加えて、磁気シールドを使わずに一般環境下で使用できる点が大きな特徴です(参考リンク参照)。また、半導体製造プロセスに準じた工程で作製されるため小型化が可能で、将来的にはスマートフォンやウェアラブル機器への搭載も見込めます。

今回の実験では、7 mm角程度のセンサ素子と専用回路を試作し、生体内を模した生理食塩水中で「デジタルメディスン」用ICを作動させ、磁場の検出を試みました。容器の外に量子スピンセンサを配置し、ICとの距離を変化させた結果、最長で約10 cm離れた位置から信号を検出することに成功しました。これは、おおむね人間の胃の中心から体表までの距離に相当します。

今後の展開

本研究により、「デジタルメディスン」の信号の非接触かつ遠隔検出が可能なことが実証されました。本成果は、患者負担を大幅に軽減する新しい服薬モニタリング機器の開発につながるもので、量子スピンセンサの新たな可能性を示しました。

さらに、この微小電流検出技術は医療の枠を超えて、小型電子機器の電力管理にも応用が見込まれます。スマートフォンなどの小型電子機器内部の部品ごとの消費電力をより正確に把握することで、電池を無駄なく使い、より長寿命で省エネルギーな機器の開発に寄与することが期待されます。


図2. (a) 「デジタルメディスン」からの信号検知概要。従来は皮膚に直接電極を貼り付けた。本成果では、磁場を検知することにより非接触・遠隔検知が可能なことを実証した。(b) 実際に検出した磁場信号例。固定周波数のデジタル信号が繰り返し検知できている。

謝辞

本研究は大塚製薬株式会社(東京都港区)並びにスピンセンシングファクトリー株式会社(宮城県仙台市)からの資金提供を受けて設立された、東北大学大学院工学研究科先端スピントロニクス医療応用工学共同研究講座(研究代表者:安藤康夫教授)において実施されました。また本研究は、東北大学、大塚製薬株式会社、スピンセンシングファクトリー株式会社の研究者による共同研究です。

用語説明

(注1)服薬アドヒアランス

医療における“アドヒアランス”とは、患者が積極的に治療方針の決定に参加し、その決定に従って治療を受けること(参考情報:公益財団法人日本薬学会webページ)、と定義される。服薬アドヒアランスは、患者が治療方針に沿って処方薬を服用することを指す。服薬アドヒアランスの低下は様々な原因で起こり得るが、低下したことを医療者や介助者が的確に把握することにより、より良い医療の提供が可能となると考えられている。

(注2)デジタルメディスン(Digital Medicine)

一般に、デジタル技術を活用した医療・健康管理のアプローチ、ソリューション全般の総称です。本文書で示す「デジタルメディスン」は、大塚製薬株式会社により開発された内服薬と服薬確認用の“飲み込むセンサ”を組み合わせた医療ソリューション。薬剤に組み込んだ極小の“インジェスタブルセンサ(経口摂取可能なセンサ)”が、服用時に体内で自己発電により起動し、電気信号を発生させる。患者が皮膚上にパッチ(ウェアラブル)を装着することにより、電気信号が検知される。その情報はスマートフォンのアプリを介してクラウドに送信され、患者自身に加えて医療者が服薬状況を確認できる。また服薬日時だけではなく、パッチに内蔵されたセンサにより体角度や活動量などを記録することも可能。

(注3)量子スピンセンサ(通称:TMRセンサ)

極薄の絶縁体を二層の強磁性体で挟んだ構造の素子において、強磁性体の磁化の向きに依存して素子抵抗が変化するトンネル磁気抵抗(TMR)効果を用いた磁気センサ。研究グループでは、これまでにも量子スピンセンサの性能向上と社会実装に向けた成果を発表している(参考リンク参照)。

(注4)テスラ(T)

磁場の大きさを表す単位で、ピコテスラ(pT)は10-12 T。方位決定に利用される地球の磁場(地磁気)はおおむね50 マイクロテスラ(μT = 10-6 T)のため、本成果では地磁気の百万分の一程度の微小磁場を検知した。

講演情報

タイトル: Magnetic Field Detection from an Ingestible Device using a Tunnel Magnetoresistance Sensor
著者: *Takahide Kubota, Hiroshi Wagatsuma, Kosuke Fujiwara, Motoki Endo, Takayuki Hojo, Makoto Ishida, Nobukazu Nakasato, Hiroki Ono, Hayato Fukushima, Seiji Kumagai, Hitoshi Matsuzaki, Kazuma Yokoi, Suguru Oyagi, Rei Otsuka, Ikuro Yamane, Dollyrey Canlas, Jaleh Komaili, Sumukh Pathare, Jonathan Withrington, Todd Thompson, Junichi Jinno, Koji Onishi, and Yasuo Ando
*講演者: 東北大学大学院工学研究科 特任准教授(研究) 窪田 崇秀
会議名: The 70th Annual Conference on Magnetism and Magnetic Materials
講演番号: DG-01

お問合せ先

< 研究に関すること >
東北大学大学院工学研究科 先端スピントロニクス医療応用工学共同研究講座
教授 安藤 康夫
TEL:022-752-2168
E-mail:yasuo.ando.d1@tohoku.ac.jp
特任准教授(研究) 窪田 崇秀
TEL:022-752-2168
E-mail:takahide.kubota@tohoku.ac.jp
< 報道に関すること >
東北大学工学研究科・工学部 情報広報室
TEL:022-795-5898
E-mail:eng-pr@grp.tohoku.ac.jp
英文プレスリリース   An Easier Digital Pill to Swallow
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