巨大な磁気抵抗を示す磁性材料を発見
- トンネル磁気抵抗素子材料の開発に新しい展開 -
2023/06/07
発表のポイント
概要
現在、膨大なデジタル情報を効率よく処理するソフト・ハードウエアの開発や、スマート社会を実現するセンサーの開発が大きな社会的要請となっています。トンネル磁気抵抗素子は、不揮発性メモリの一種である磁気抵抗メモリ(MRAM)や磁気センサーの主要素子として、国内外の大学や研究機関、企業で研究開発が精力的に行われています。
東北大学材料科学高等研究所の一ノ瀬智浩研究員(研究当時、現・産業技術総合研究所 研究員)と水上成美教授は、巨大なトンネル磁気抵抗効果注4を示す準安定な磁性材料を発見しました。素子材料開発に新しい指針を与える成果です。
本研究では、準安定な体心立方結晶構造コバルト中のマンガン元素が示す強い磁気的性質に着目し、データ科学等ハイスループット材料探索手法も援用しつつ、産業に親和するスパッタ法ならびに加熱プロセスで高い磁気抵抗特性を示す材料素子を作製することに成功しました。開発した材料素子は室温で350%、5ケルビンにおいて素子抵抗が1000%以上の巨大なトンネル磁気抵抗効果を示すことが明らかとなりました。これまでのトンネル磁気抵抗素子の研究開発では、熱力学的に安定な体心立方結晶構造を有する鉄系合金が主に用いられてきました。本成果は、従来の材料開発とは一線を画する新しい方向性を示すものです。今後数年の研究を経たのちに社会実装を目指した取り組みを推進します。
本研究は2023年5月29日に材料科学の学術誌Journal of Alloys and Compoundsの電子版に掲載されました。
研究の背景
現在、膨大なデジタル情報を効率よく処理するソフト・ハードウエアの開発や、スマート社会を実現するセンサーの開発が大きな社会的要請となっています。そのようなハードウエアならびにセンサーとして、不揮発性磁気抵抗メモリ(MRAM)や磁気センサーがあり、その主要な構成要素がトンネル磁気抵抗素子です(図1(a))。トンネル磁気抵抗素子の性能指数としてその磁気抵抗比があり、一般には磁気抵抗比が大きいほど優れた素子であると言えます。
現在のトンネル磁気抵抗素子では、酸化マグネシウム、ならびに磁性材料の典型であり古くからよく知られている鉄コバルトなど鉄系磁性合金が主として用いられています。鉄系合金は室温・常圧下で体心立方結晶構造を取り、岩塩型の結晶構造を有する酸化マグネシウムと格子整合した素子において巨大なトンネル磁気抵抗効果を発現します。そのような素子は2004年に産業技術総合研究所ならびに米国IBMの研究グループから独立に報告されました。2008年には東北大学のグループが室温で600%を超える磁気抵抗比を報告し、絶対零度に近い温度では1000%を超える巨大な磁気抵抗比(素子抵抗が一桁変化する大きさ)が報告されています。
更なる高い特性を発現する素子の開発のため、素子の物理、材料、プロセス等に関する様々な研究開発が、国内外の大学や研究機関、企業で精力的に行われてきました。しかしながら、そのような巨大な磁気抵抗を示す材料は、鉄系合金の他にはホイスラー型磁性規則合金しか知られていませんでした。
今回の取り組み
研究グループでは、巨大な磁気抵抗を示す新材料の開発を目的とし、熱力学的には準安定な材料に着目しました。特に体心立方を準安定結晶構造に有するコバルトとマンガンの合金が示す強い磁気的性質に着目し研究を進めました(図1(b))。コバルトマンガン合金は熱力学的安定相として面心立方型や六方晶型の結晶構造を有します。しかし、そのような安定相ではフェリ磁性や反強磁性等といった弱い磁性を示すため、これまでトンネル磁気抵抗素子の材料として検討されたことはありませんでした(図1(c) )。
研究グループは2020年に準安定な体心立方結晶構造コバルトマンガン合金を用いた素子を開発し世界に先駆けて報告しました(Appl. Phys. Express 13, 083007 (2020))。さらにデータ科学やハイスループット実験手法を用いた材料探索を進めてきました。今回、コバルトマンガン合金にわずかに鉄が添加された準安定体心立方結晶構造を示すコバルトマンガン鉄合金を用いた素子において、巨大な磁気抵抗を得ることに成功しました。得られた材料素子の室温の特性もさることながら、低温では1000%を超える磁気抵抗比を発現することが明らかとなりました(図2)。鉄系合金、ホイスラー型規則合金に次ぐ、第三の新しいトンネル磁気抵抗素子磁性合金が発見されたと言えます。
図1 (a) トンネル磁気抵抗素子と磁気抵抗の模式図。(b) 本研究で研究された準安定体心立方構造コバルトマンガン系合金の結晶の模式図。 (c) コバルトマンガン系合金の熱力学的安定相の一つである面心立方構造の模式図。
図2 コバルト・マンガン・鉄三元合金における熱力学的に安定な結晶構造。今回巨大な磁気抵抗比が発見された材料の組成、ならびに低温および室温の磁気抵抗効果の実験データ。本来は面心立方構造が安定である組成で、体心立方構造を準安定状態とした合金を用いて素子を作製することで得られた特性。
今後の展開
独自の発見である本成果は、トンネル磁気抵抗素子材料開発の新しい方向性を示すものです。不揮発性磁気抵抗メモリや磁気センサーへの応用には、他の磁気物性をも明らかにする必要があります。今後数年の研究開発を進めつつ、社会実装へ向けた取り組みを進めます。
謝辞
本研究は、JST戦略的創造研究推進事業CREST「実験とデータ科学等の融合による革新的材料開発手法の構築」(課題番号:No. JPMJCR17J5)の支援により行われました。
用語説明
(注1)準安定
熱力学的に真の安定状態ではないものの、大きな擾乱がない限り安定に存在できるような状態を指します。
(注2)体心立方結晶構造
結晶構造の一種で、立方体の8個の頂点と立方体の中心に各々一ヶ原子が配置されている結晶格子構造です。
(注3)スパッタ法
薄膜や薄膜を積層した多層膜構造を作製するときの作製手法の一つで、磁性材料薄膜等からなるデバイスの大量生産等に用いられています。
(注4)トンネル磁気抵抗効果
磁性体/絶縁体/磁性体の三層からなる素子。各層の厚みは1~数十ナノメートル。磁性体は導体で、磁性体間に電圧を加えると、量子力学的な現象である電子のトンネル効果により絶縁体の中を電流が流れます。その際、一般に二つの磁性体の磁化の向き(NあるいはS極)が平行の時は電流が流れやすく、反平行な場合は電流が流れにくい、つまり素子の電気抵抗が磁化の方向で変化します。この物理現象はトンネル磁気抵抗効果と呼ばれます。1995年に室温で比較的大きな磁気抵抗比が東北大学ならびに米国MITで独立に発見され、現在に至るまでのトンネル磁気抵抗素子の研究開発が続いています。
論文情報
著者: *Tomohiro Ichinose, Junichi Ikeda※, Yuta Onodera※, Tomoki Tsuchiya, Kazuya Z. Suzuki, and *Shigemi Mizukami
*責任著者: 東北大学 材料科学高等研究所 研究員 一ノ瀬智浩 (現 産業技術総合研究所 研究員)、東北大学 材料科学高等研究所 教授 水上成美
掲載誌: Journal of Alloys and Compounds
DOI: 10.1016/j.jallcom.2023.170750