フラボノイド生合成酵素の「影武者」カルコン異性化酵素類似タンパク質 - 陸上植物の生存戦略におけるその役割 -
2020/02/28
【発表のポイント】
- 約4億5000万年前の地球において植物が上陸したときに、陸上環境に適応するために植物はフラボノイドとよばれる化合物群を生産するようになった。現存の陸上植物においても、フラボノイドはストレスへの適応や生殖に欠かせないものとなっており、ヒトの健康に関わる食品成分としても注目されている。
- フラボノイドの生合成に関わる酵素の一つカルコンイソメラーゼ(CHI)と瓜二つであるが酵素活性を持たないタンパク質(カルコン異性化酵素類似タンパク質CHIL)が、フラボノイド合成の鍵酵素(カルコン合成酵素)の活性を矯正し、フラボノイド合成の効率を向上させる働きがあることが分かった。また、この働きが陸上植物で普遍的であることも分かった。
- CHILは有用フラボノイドを異種生物で効率良く生産させるための必須なツールになると考えられる。
【概要】
東北大学大学院工学研究科バイオ工学専攻応用生命化学講座の研究グループらは、フラボノイド注1)の生合成に関わる陸上植物注2)に普遍的な代謝戦略を見いだしました。この発見は、植物の陸上環境への適応注3)のための代謝戦略や酵素の機能進化の理解に向けて多大なインパクトを与えるものであり、またこの有用な化合物群の効率的生産のために必須な要素となることが期待されます。
この共同研究は科学研究費補助金(番号18H03938)および基礎生物学研究所の助成を受けて実施され、その成果は2月13日に総合科学誌Nature Communicationsに掲載されました。

図 CHILの役割。 CHILはフラボノイド生合成の初発酵素CHSに結合し、その生成物特異性のあいまいさを矯正することにより、フラボノイド生合成の効率を上げる。フラボノイドは陸上植物の生殖や環境変化への適応を支える。
【詳細な説明】
植物は、その進化の過程で、今からおよそ4億5千万年前に水中から陸上にその生息環境を拡大しました。フラボノイドは、その際に植物が陸上の環境に適応するために蓄積されるようになったと考えられており、現在では全ての陸上植物(コケ植物、シダ植物、裸子植物、被子植物)によって合成され、7000以上にも及ぶ構造的多様性を示します(図の右上にいくつかのフラボノイドの構造式を示します)。現生の植物にとってフラボノイドは、環境変化への適応や生殖を支える重要な化合物群となっています。
この化合物群の生合成の最初の反応は、カルコン合成酵素CHSが担当します。この酵素の役割は、最初のフラボノイドであるカルコンを生成することですが(図;右向き矢印)、同酵素の反応は非効率極まりないもので、試験管内で反応させると、フラボノイドの合成の役に立たない副成物(CTAL、 スティルベン等;図左)を大量に生成してしまい、その割合は60〜90%にも達します。同酵素がこのような反応の非効率さ(生成物特異性のあいまいさ)をどのようにして克服し、フラボノイド生合成の入り口に位置する鍵酵素としての役割を果たすことができるのか、不明のままでした。
この謎の解明の手掛かりは、2014年にフラボノイド生合成経路の二番目の反応を担当する酵素(カルコン異性化酵素CHI)とよく似たタンパク質(カルコン異性化酵素類似タンパク質chalcone isomerase-like protein;CHIL)が、アサガオの花色変異に関わることが発見されたことによって得られました。東北大学の和氣駿之助教らは、金沢大学、東北メディカル・メガバンク機構、オーボアカデミ大学(フィンランド)、国立国際医療研究センター研究所、理化学研究所、名城大学、基礎生物学研究所と共同でこの花色変異におけるCHILの役割を調べる過程で、同タンパク質がCHSに結合してその生成物特異性のあいまいさを矯正し、フラボノイド生合成に必要なカルコンを優先的に生成するように作用すること、さらにCHILのこの役割はコケ植物から被子植物に至る全ての陸上植物において保存されていることを見いだしました。
CHILはその名のとおり、一次構造も、立体構造も、CHIに非常によく似たタンパク質ですが、CHILではCHI活性に必須な触媒残基が他のアミノ酸で置き換わっているため、CHI活性は示しません。本研究チームによって上述のCHILの機能が見いだされるまでは、多くの研究者にとって、CHILの機能は未知であり、いわばCHIの「影武者」のような存在であったと思われます。実際、過去のフラボノイド代謝工学研究において、CHILをCHIと誤認している例もみられます。
陸上植物の進化の過程で、CHSは常にCHILとの結合能を維持することによりカルコン生成能を最大限発揮し、この重要な代謝産物の生合成の入り口に位置する酵素としての役割を全うしてきたのではないかと、本研究チームは考えています。CHILはいわばCHSの役割をサポートする「影武者」であり、陸上植物におけるCHILの存在の普遍性はこのタンパク質の機能の必須性を物語っています。またCHILは、フラボノイドを他の生物を用いて効率的に生産するための要素として必須なものとなることが期待されます。
用語解説
注1)フラボノイド
陸上植物(コケ植物、シダ植物、裸子植物、被子植物)がつくる、C6–C3–C6の基本構造を持つ化合物群。フラボノイドは植物の生殖に関わるばかりでなく、病害虫や環境変化に対する応答機構や微生物との共生関係の樹立に関わるなど植物の生存に不可欠の役割を果たしています(図)。フラボノイドは花色の主な原因物質であり、花色の赤・青・紫はほとんどの場合、アントシアニンという種類のフラボノイドに起因し、またキンギョソウやコスモスなどいくつかの花の黄色い花色はオーロンというフラボノイドに起因します。またフラボノイドは、これを摂取したヒトに対しても、動脈硬化予防効果や発がん抑制効果などの健康に好ましい効果を示すことが知られています。
注2)陸上植物
5億年以上前の地球上の植物は水生の藻類のみでしたが、今からおよそ4億5千万年前(オルドビス紀後期)に、シャジクモ藻類に近い原始植物を直接の祖先とする最初の陸上植物が地球上に現れ、それは現在のコケ植物に近い植物であったと推定されています。その後、陸上植物は維管束系を発達させ、シダ植物・裸子植物(例:イチョウ、マツなど)・被子植物(例:双子葉類 キンギョソウ、アサガオ、タンポポなど;単子葉類 イネ、ハナショウブなど)が進化しました。
注3)陸上環境への適応
植物の上陸当時、地球の大気中の酸素濃度は現在のレベルとほぼ同じであったとされ、また二酸化炭素濃度は現在のレベルの十数倍であったと考えられています。水中環境と異なり、上陸した植物は太陽からの有害な紫外線を直接的に浴びるとともに、有害な活性酸素の基となる高濃度の酸素ガスに常に曝露されながらの生育を余儀なくされました。フラボノイドはもともと、植物がこうした環境ストレスに適応するために植物自身によってつくられるようになったと考えられています。現存する陸上植物は全てフラボノイドを合成します。フラボノイドは植物の陸上環境での繁栄を支える重要な化合物群となっています。
論文情報
タイトル:A conserved strategy of chalcone isomerase-like protein to rectify promiscuous chalcone synthase specificity.
掲載誌: Nature Communications
URL: https://doi.org/10.1038/s41467-020-14558-9