心臓の微弱な生体磁気情報を日常生活環境下において簡便に検出する技術を開発

~生体磁場情報の広範な利用に道筋~

2020/12/14

発表のポイント

  • 大病院などに設置が限られていた大型で高価な磁気シールドルーム注1を使わずに、日常的生活環境において、心臓の動きから発生する微弱な磁気信号を検出することに成功した
  • 広いダイナミックレンジ注2と高い検出磁場分解能注3を併せ持つ新型磁気センサ素子の開発と、それを用いた外部環境磁場ノイズのキャンセル技術の開発が、成功の鍵となった

概要

心臓を非侵襲で精密に検査が可能な施設は、現状では大病院に限られており、診察料も高額です。そのため、誰もが心臓のチェックを簡便に行える、高感度な生体計測機器の実現が望まれています。

東北大学大学院工学研究科応用物理学専攻の安藤康夫教授のグループは、同大学大学院医学系研究科の中里信和教授のグループ、および、スピンセンシングファクトリー(株)との共同研究により、ヒトの体内活動から発生する微弱な磁気信号を室温で測定可能な高感度な磁気センサ素子と、外部環境磁場ノイズのキャンセル技術の開発に成功しました。この画期的な技術により、日常的生活環境において、心臓などの微弱な生体磁気情報を取得可能な装置の実現に近づきました。

本研究成果は、第44回日本磁気学会学術講演会(12月14日~17日)において発表されます。

背景と経緯

超高齢化が進む中、心臓や脳疾患の早期発見・治療が大きな社会的課題の一つとなっています。しかし、現状では心臓、脳の精密検査が可能な施設は大病院に限られており、診察料も高額です。本研究は、日常環境下において、誰もが心臓や脳のチェックを簡便に行うことができる、非侵襲で高感度な生体計測機器の実現を目指すものです。

心電図や脳波などの生体信号を電気的に計測する技術は、非侵襲的な機能検査として広く用いられています。しかし、測定対象となる電気的活動が生体内の伝導率の異なる領域を伝播するため、電気が流れる過程において、信号が変化してしまうという問題があります。この問題を解決するものが、生体信号を磁場で計測する心磁図と脳磁図です。磁場を用いて計測する場合、心臓、脳、骨、皮膚、空気に至るまで、磁場の透磁率はほぼ一定であるため、精密な生体活動の測定が可能となります。ただし、心磁場は10-10~10-12 T、脳磁場は10-12~10-15 Tという非常に微小な磁場であるため、現状の心磁計や脳磁計では、超伝導を利用したSQUID注4が用いられています。しかし、現行のSQUIDを用いた心磁計や脳磁計ではSQUID素子を低温に保つための高額な液体ヘリウムが必須であること、液体ヘリウムを貯蔵するための冷却容器によって、センサと測定対象物の距離が離れてしまうことで空間分解能が低下してしまう問題があります。また、SQUID素子は、地磁気や環境磁場等の、生体磁気信号に比べて遥かに大きな磁場が存在する状況で使用すると、素子の出力が飽和してしまいます。そのため、SQUID素子は、測定環境内に存在する磁場ノイズを遮蔽するための大型で高価な磁気シールドルームという特別な部屋の中で使用する必要があります。これらの課題が、生体磁場計測装置が、広く一般的に普及していない要因です。

一方、我々が開発した強磁性トンネル接合(MTJ)素子注5を利用したセンサは、室温動作が可能であり、密着型、かつ、小型という利点があります。さらに、素子の動作可能磁場範囲(ダイナミックレンジ)が広いことから、地磁気レベルの環境磁場ノイズが存在する状況であっても使用することができます。これまでの我々の研究では、磁気シールドルーム内で、心磁場を室温下で瞬時に計測すること、さらには、アルファ波由来の脳磁場を検出することに成功しました [1]。しかし、従来の大きな課題は広いダイナミックレンジと高い磁場感度を両立させることでした。本研究成果は、MTJ素子を構成する新磁性材料の開発と、信号磁場を増幅する磁束収束構造(フラックスコンセントレータ注6)の最適化によって、広いダイナミックレンジを維持しつつ、従来センサ素子に比べて約1桁高い検出磁場分解能を達成したものです。

さらに、本研究では、開発したMTJ素子と、簡便な環境磁場のノイズキャンセル機構を利用することで、磁気シールドルームを用いることなく、一般的な会議室内でヒトの心臓磁場を計測することに初めて成功しました。開発した高感度センサ素子を2つ準備し、1つを信号計測用、他方を環境磁場ノイズ計測用とし、その差分信号を測定するだけで、生体信号よりも圧倒的に大きな環境磁場ノイズ(例えば、エレベータ動作による磁場ノイズ)をキャンセルし、微小な生体磁場信号のみを抽出することが可能になりました。

これらの研究成果により、磁気シールドルームの無い、一般的な環境下においても、微小な生体磁場の計測ができるようになります。また、心電図のように電極をとりつける手間も必要ないことから、非常に簡便に測定をすることが可能です。将来的には、職場や一般家庭であっても心臓や脳の状態を日常的にチェックすることができるようになり、心臓や脳疾患の早期発見、治療につながります(図1)。

[1] 東北大学プレスリリース,2017年11月

https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2017/11/press20171124-02.html


図1 MTJセンサを用いた日常環境下における生体信号測定の概念図

開発の内容

1. 高感度MTJ素子の開発

日常環境下で心磁場を計測するために、MTJ素子のダイナミックレンジを維持しながら、感度向上を実現する材料探索・新素子構造の開発を行いました。ヒトの心臓から発生する磁場の大きさは数10 pT (10-11 T) 程度と言われており、地磁気の数百万分の一の微小な磁場です。この微小な磁場をリアルタイムで計測するためには、MTJ素子感度の劇的な改善が必要です。本研究では、信号出力の向上のために、軟磁気特性に優れた、新規アモルファス磁性材料をMTJ素子に応用し(図2)、さらに、フラックスコンセントレータと呼ばれる磁束を収束する磁性材料および構造の最適化を行いました。生体磁場は低周波数の信号であるため、低周波領域におけるセンサ性能が重要ですが、1 Hzにおける検出磁場分解能4.7 pT/√Hzを達成しました(図3)。従来素子に比べて [2]、地磁気以上の広いダイナミックレンジを維持しながら、1桁以上の性能改善を実現しました。

[2] 東北大学プレスリリース,2017年5月

https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2017/05/press20170522-01.html


図2 アモルファス磁性体電極を有する高感度MTJ多層膜構造

図3 MTJセンサの検出可能磁場の周波数依存性
2. 環境磁場ノイズのキャンセリング技術の開発

微弱な生体磁場の計測は、磁気シールドルーム内で行われることが一般的ですが、生体磁場測定を広範に普及させるために、磁気シールドルームを使用しない形での測定が切望されています。しかし、微弱な生体信号を、大きな磁場ノイズが存在する環境で測定するためには、複雑な回路や、高度な信号処理が必要でした。本研究では、たった2つのセンサを用い、その差分信号を計測するという、非常に簡便な手法で環境磁場ノイズの低減に成功しました。図4に環境磁場のノイズキャンセル例を示します。エアコンおよびエレベータによるノイズが2つのセンサ出力に現れていますが、その差分をとることで、ノイズレベルをピコテスラオーダーにまでキャンセルできました。

さらに、普通の会議室において、センサ特性の揃った1組の高感度磁気センサを準備し、片方のセンサを心臓付近に、他方のセンサを体表から約5 cm離れた位置に固定して測定を行いました。図5の右図に示す通り、信号センサのみの出力では、外部磁場ノイズの影響により、心臓磁場信号を検出することができていません。しかし、参照センサの出力を引き算することで、心臓磁場信号を抽出することに成功しました。このような画期的なノイズキャンセルが可能になったのは、MTJセンサの広い動作磁場範囲を維持しつつ、高感度化に成功したことと、センサ特性が極めて揃った素子を歩留まり良く作製する技術によるものです。


図4 2つの特性の揃ったMTJセンサを用いた環境ノイズのキャンセリング結果

図5 一般的な会議室で測定した心臓磁場の測定結果

今後の展望

本研究により、MTJ素子を利用した高感度磁気センサを用いることで、微弱な生体磁場信号を日常環境下で測定可能であることが示されました。これまで普及が進まなかった、生体磁場測定の大きな課題の一つを解決したものであり、今後、広範な普及、展開が期待されます。心臓磁場よりもはるかに弱い脳磁場を同様な日常環境下で測定することも、あと1桁のセンサ感度の改善で可能になります。現在、その実現を目指して、トンネル絶縁層の形成方法や、エピタキシャル成長注7したMTJ素子の開発などに取り組んでいます。それほど遠くない将来に、MTJセンサ素子を利用した生体磁場計測機器が実用化され、超高齢化社会における社会問題解決の一助となることが期待されます。

本研究は、科学技術振興機構(JST)研究成果展開事業 戦略的イノベーション創出推進プログラム(S-イノベ)における研究開発テーマ「スピン流を用いた新機能デバイス実現に向けた技術開発」(プログラムオフィサー:安藤功兒)の研究開発課題「トンネル磁気抵抗素子を用いた心磁図および脳磁図と核磁気共鳴像の室温同時測定装置の開発」(プロジェクトマネージャー:安藤康夫、グラント番号JPMJSV1111)の一環として、コニカミノルタ(株)との共同研究により実施されました。また、本研究成果は、第44回日本磁気学会学術講演会(12月14日~17日)において発表されます。

用語説明

注1 磁気シールドルーム

微小な電磁的な測定をするために、電磁波を外部から遮蔽するように設計された部屋のこと。必要とする測定対象物により、シールドの性能が10dB程度から100dB以上まで様々なタイプのものが存在する。内部の雑音電磁場を減らすために、金属製の板、導電性材料などで部屋全体を覆い囲んであり、開口部のシールドも重要になる。

注2 ダイナミックレンジ

磁気センサ素子の性能指標の一つである。センサ素子の動作可能な磁場範囲を示すものであり、MTJセンサは数ピコテスラ~数百マイクロテスラの非常に広い磁場範囲で、出力が飽和することなく動作が可能である。

注3 検出磁場分解能

磁気センサ素子の最も重要な性能指標の一つである。ある周波数において、検出可能な磁場の最小分解能を示す。

注4 SQUID

超伝導量子干渉素子の略、Superconducting QUantum Interference Device。超伝導リングにジョセフソン接合部を設けた、微小な磁場を測定する磁気センサ。フェムトテスラオーダーの微小磁場も検出可能であるが、素子を超伝導状態に冷やす必要があり、液体ヘリウムが必須である。

注5 強磁性トンネル接合素子

厚さ数nm(nmは10億分の1メートル)以下の非常に薄い絶縁体(あるいはトンネル障壁)を2枚の強磁性体の電極で挟んだ構造の素子を強磁性トンネル接合(MTJ)素子という。2枚の磁性層の磁化の方向が平行のときには、2枚の電極間の抵抗が小さくなり、反平行のときには抵抗が高くなる。この現象をトンネル磁気抵抗(TMR)効果という。室温TMR効果は1994年に東北大学の宮﨑照宣教授によって発見された効果である。これは後に高密度ハードディスクの読み出しヘッド、および高密度不揮発性磁気メモリ(MRAM)への実用化が進められた。

注6 フラックスコンセントレータ

MTJセンサに隣接させて設置し、信号源から発生する磁束を収束してセンサに印加することで、センサ感度を実効的に高めるための構造体である。フラックスコンセントレータの磁気特性を向上させることで、大幅にセンサ感度を増大させることができる。

注7 エピタキシャル成長

基板や下地層材料と結晶面をそろえて、薄膜を成長させる技術である。エピタキシャル成長が起こるには、格子定数のほぼ等しい基板や下地層を選ぶ必要があり、熱による膨張係数も近い物質が好ましい。

お問合せ先

東北大学工学研究科・工学部 情報広報室
TEL:022-795-5898
E-mail:eng-pr@grp.tohoku.ac.jp
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