有機分子のキラリティを揃え、無加湿プロトン伝導特性を向上
- 燃料電池の性能向上と小型化に期待 -
2024/08/06
発表のポイント
- 有機材料中の水分を含まない無加湿プロトン(H+:水素イオン)伝導性にキラルな分子(右手・左手のような鏡像関係にある非対称な分子)が与える影響を初めて解明しました。
- 右手型または左手型分子のみから作られる結晶では分子運動性がより高効率に生じることを示しました。
- 右手型または左手型分子のみの結晶中の高効率な分子運動により高効率な無加湿プロトン伝導を実現しました。無加湿燃料電池(注1)のさらなる性能向上への指針として期待できます。
概要
水素はCO2(二酸化炭素)排出ゼロのエネルギー源として期待され、燃料電池の固体電解質(注2)として注目されています。従来の研究では、有機材料中の分子運動やプロトン伝導性に対する右手・左手の鏡像関係にある分子がもたらす非対称性(キラリティ(注3))の効果については明らかになっていませんでした。
東北大学多元物質科学研究所の研究グループは、キラル分子の運動性が乏しい1,2,3-トリアゾール塩では、左手型(または右手型)分子のみを含む「ホモキラル結晶」の方がアゾール分子の回転運動が活発で、無加湿プロトン伝導度(注4)も高いことを明らかにしました。一方、キラル分子の運動性が活発なイミダゾール塩ではキラリティの影響は見られず、結晶のキラリティ(非対称性)が分子運動により平均化されずに保持されていることが重要であることが示されました。人体の生命活動が右手型のみのアミノ酸によって効率的に行われているのと同様に、本研究のプロトン伝導体に関しても、キラリティの保持が効率の向上に重要であると考えられます。本成果はホモキラルな環境が高効率なプロトン伝導体の設計に利用可能であることを示しており、燃料電池のさらなる性能向上が期待できます。
本研究の成果は米国現地時間の2024年7月31日、科学誌Journal of the American Chemical Societyにてオンライン掲載されました。
なお本成果は、東北大学多元物質科学研究所の佐藤千慧大学院生(大学院工学研究科)と出倉駿助教および芥川智行教授、同 三部宏平大学院生(研究当時)、株式会社リガクの佐藤寛泰氏、信州大学の武田貴志准教授、金沢大学の水野元博教授と栗原拓也助教、早稲田大学の谷口卓也准教授、北海道大学の中村貴義教授と呉佳冰助教らの共同研究によるものです。
研究の背景
水素は、CO2排出ゼロのSDGsに沿ったエネルギー源として期待されており、水素エネルギーを直接利用可能な燃料電池に注目が集まっています。その鍵の一つが、材料中を水素イオン(プロトン:H+)が流れる“プロトン伝導体”という固体電解質です。現在主流の高分子型プロトン伝導体は、加湿により外部から水を吸着させることで初めて伝導性を発揮するため、加湿機構が不可欠なことに加え、電極反応の効率が良い100 ℃以上の温度では水が脱離して伝導性が失われてしまうという問題がありました。したがって、加湿せずに100〜300 ℃の中温域で高効率にプロトン:H+を輸送できる“無加湿プロトン伝導体”の開発が求められています。これまでの研究から、無加湿で高効率にプロトンを伝導させる指針として、材料を構成する分子の回転運動を積極的に活用することが提案されていました。一方、生体中ではキラリティの揃った分子集合体が、F1-ATPase(注5)における一方向回転運動に基づく100%に近いエネルギー変換効率や、プロトンポンプ(注6)における高効率なプロトン輸送を実現していることが知られています。以上の背景から、有機材料にキラリティを導入することで、高効率な分子回転運動による高プロトン伝導性の実現が期待されます。しかしながら、これまで有機材料へのキラル分子の導入とプロトン伝導性との関係は調べられていませんでした。
今回の取り組み
本研究グループは、これまでに、酸・塩基分子が規則的に並んだ水素結合性有機結晶(注7)を対象に無加湿プロトン伝導体の開発とその伝導機構を明らかにしてきました。水素結合性有機結晶は、結晶構造や化学組成が明確であるため、伝導機構の理解に基づく材料設計指針を見出すためのモデルとして最適な材料群と言えます。本研究では、生体系におけるキラリティの効果に着想を得て、有機材料のプロトン伝導性に対するキラリティ導入の効果を検討しました。先行研究において、結晶中の分子の回転運動が報告されている五角形のアゾール分子と、キラリティを有するカンファースルホン酸を1:1の比率で組み合わせた種々の塩を作製しました(図1)。カンファースルホン酸は、1Sと1Rの異なるキラリティを有する分子が存在するため、それぞれの塩に対して1S体分子のみを含む「ホモキラル結晶」と1Sと1R体分子を50:50の比率で含む「ラセミ結晶」を作製し、ホモキラル結晶とラセミ結晶の結晶構造とプロトン伝導性の比較によりキラリティの影響を議論しました。その結果、アゾール分子として1,2,3-トリアゾールを用いた塩における無加湿プロトン伝導性に明確なキラリティ効果が観測され、キラリティの導入によってより高効率なプロトン伝導性が実現可能であることが明らかになりました。
本研究で作製した結晶はいずれも、単結晶X線構造解析(注8)の結果から無加湿でプロトンが伝導できる経路を有していることが確認されました(図2)。チアゾールを用いた塩では、原料に1Sと1R体分子のカンファースルホン酸を50:50の比率で用いたにもかかわらず、1Sもしくは1R体分子のみを含むホモキラル結晶が得られ、自然分晶(注9)と呼ばれる現象が観測されました。一方、イミダゾールや1,2,3-トリアゾールを用いた塩では、ホモキラル結晶とラセミ結晶をそれぞれ得ることができ、いずれの結晶中においてもイミダゾールもしくは1,2,3-トリアゾール分子が回転運動をしていました。興味深いことに、1,2,3-トリアゾールの塩では、ホモキラル結晶中とラセミ結晶中で分子の配向状態が互いに異なっており、キラリティの存在によって分子の運動性が異なることが明らかになりました(図3)。
分子運動性を直接評価するため、固体核磁気共鳴分光法(固体NMR)(注10)によって1,2,3-トリアゾール塩のホモキラル結晶とラセミ結晶の比較を行ったところ、前者の結晶中において1,2,3-トリアゾール分子がラセミ結晶中よりも活発に回転運動していることが明らかになりました。より活発な分子運動は、より高効率な無加湿プロトン伝導性の発現を期待させます。そこで、交流インピーダンス分光法により、1,2,3-トリアゾール塩のホモキラル結晶とラセミ結晶のプロトン伝導度を測定したところ、ホモキラル結晶の方がラセミ結晶よりも活性化エネルギー(注11)が低く、伝導度が高いことが明らかになりました(図4)。このことは、キラリティの導入によってより高効率なプロトン伝導性がもたらされたことを意味します。一方、イミダゾールの塩ではホモキラル結晶とラセミ結晶でアゾール分子の運動性やプロトン伝導性に違いは見られませんでした。イミダゾール塩では、キラルなカンファースルホン酸も激しく運動しているため、キラル分子による非対称な結晶空間が平均化されてしまいました。一方、1,2,3-トリアゾール塩では、カンファースルホン酸の運動性が乏しく、結晶空間にキラリティによる非対称性の影響が保持されるため、キラリティ効果が観測されたと考えられます。
今後の展開
本研究では、有機材料中の無加湿プロトン伝導性が分子運動を介してキラリティの影響を受けること、そしてホモキラルな環境が高効率なプロトン伝導の実現に有利であることが、初めて示されました。本研究で見出されたホモキラルな分子を用いた結晶空間の非対称性の重要性は、生体内のプロトン輸送やイオンチャネルなどの興味深い現象と材料科学を繋ぐ重要な知見であると考えます。分子が規則正しく並んだ有機結晶の知見を最大限に利用する事で、低中温領域でも使用可能な燃料電池の実用を可能とする高効率なプロトン伝導体から超プロトン伝導体(注12)の実現に繋がることが期待されます。
謝辞
本研究は、科研費 基盤研究(A) JP19H00886、若手研究 JP23K13715、学術変革領域A「高密度共役の科学」JP20H05865、科学技術振興機構 ACT-X「トランススケール」JPMJAX23DF、科学技術振興機構 戦略的創造研究事業「熱制御」JPMJCR18I4、人と知と物質で未来を創るクロスオーバーアライアンス、公益財団法人天野工業技術研究所 研究助成金の支援を受けて実施されました。
用語説明
(注1)無加湿燃料電池
本稿における燃料電池は、水素ガスと空気中の酸素から化学反応によって直接電気エネルギーを取り出す「水素燃料電池」のことを指します。水素と酸素の反応によって水のみが排出されるため、環境に優しい動力源として注目されています。従来の高分子型電解質は外部から加湿によって供給される水分子を媒介として水素イオン(=プロトン)が伝導します。しかし水が沸騰・脱離する100℃以上では利用できない問題があります。水を用いない燃料電池を無加湿燃料電池と言い、100℃以上の中温域でも利用できるため、廃熱の有効利用や発電効率の向上、加湿器が不要なため装置の構造が単純で小型になること等が期待されています。
(注2)固体電解質
物質の内部に電気(電子)を流さずイオンを流す固体材料を指します。水素イオン(H+:プロトン)の電解質は「プロトン伝導体」とも呼ばれます。
(注3)キラリティ
右手と左手のように互いに鏡像の関係にある分子の組をキラルな分子と呼び、そのような性質をキラリティといいます。
(注4)プロトン伝導度
物質中におけるプロトンの流れやすさの指標であり、通常は単位時間あたりに単位面積を通過するプロトンの個数によって評価します。固体電解質のプロトン伝導度が高いほど、高効率な燃料電池が実現できます。
(注5)F1-ATPase
化学エネルギーを力学エネルギーに変換するタンパク質の一つであり、生物のエネルギー源であるアデノシン三リン酸(ATP)を分解することで、一方向の回転運動をします。
(注6)プロトンポンプ
生体膜でプロトンの輸送を担うタンパク質であり、ATPの分解や光を利用し、プロトンを濃淡に逆らって汲み出します。
(注7)水素結合性有機結晶
分子同士がプロトンを仲介して引き合う(結合する)ことを水素結合と呼び、その力によって分子が規則正しく並んでできた固体を水素結合性有機結晶と呼びます。
(注8)単結晶X線構造解析
単結晶(全ての分子が単一の向きで規則正しく配列した結晶)にX線を当て、散乱されたX線の特徴的なパターンを解析することで、結晶中の原子や分子の配列を調べる手法。
(注9)自然分晶
キラルな分子を結晶化する際、右手型と左手型の混合物を原料に用いても、自発的に右手型と左手型が別々の結晶として析出する現象。
(注10)固体核磁気共鳴分光法(固体NMR)
強力な磁石の中で材料にラジオ波を照射し、どの周波数のラジオ波をどの程度吸収するかを調べることで、原子や分子の環境を調べる手法です。分子運動の大小も測定結果から調べることができます。
(注11)活性化エネルギー
ここでは、プロトンが材料中を伝導するために超えなければならない障壁の大きさを指します。これが小さいほど、容易にプロトンが伝導する良いプロトン伝導体であると言えます。
(注12)超プロトン伝導体
プロトン伝導度がある値(10−2 S/m)より大きい材料のことを指します。
論文情報
著者: Chisato Sato, Shun Dekura*, Hiroyasu Sato, Kohei Sambe, Takashi Takeda, Takuya Kurihara, Motohiro Mizuno, Takuya Taniguchi, Jiabing Wu, Takayoshi Nakamura and Tomoyuki Akutagawa*
*責任著者: 東北大学多元物質科学研究所 教授 芥川智行、助教 出倉駿
掲載誌: Journal of the American Chemical Society
DOI: 10.1021/jacs. 4c07429