室温動作の生体磁場センサの高出力化に成功~脳活動情報とMRIとの同時画像化実現に光~

2017/05/22

【発表のポイント】
  • 室温で動作する生体磁場検出用センサで従来素子の1500倍の出力を得た。
  • 上記センサを用いた小型のMRI注1測定が可能な技術を確立した。
  • 心臓および脳からの生体磁場信号と、MRIイメージングとの同時測定が現実的なものとなった。
  • この成果は、てんかん診断、脳の手術前診断だけでなく、認知症や脳梗塞の予防や脳の機能解明など、幅広い応用が期待できる。
【概要】

東北大学大学院工学研究科応用物理学専攻の安藤康夫教授のグループは、室温で動作する、高感度かつ高分解能の強磁性トンネル接合(MTJ注2)生体磁場センサの高出力化に成功しました。高出力が期待できる新材料および新素子構造の適用により、従来のMTJセンサと比較して、1500倍の出力向上を実現しました。これまでに開発を終えている低ノイズアンプとこの素子を組み合わせることにより、約15倍の感度向上が期待でき、例えば心磁図測定に際してデータを繰り返し積算する必要がなくリアルタイムで計測することが可能な感度となります。室温で動作するデバイスでこのような高感度を達成したのは世界で初めてのことです。

また、上記記載の技術を用いることで、超低磁場室温核磁気共鳴(NMR)の観測に成功しました。現段階ではまだプロトン(水)の磁気共鳴信号の観測のみですが、上記のMTJセンサを使用した画期的な磁気共鳴画像診断法(MRI)の実現へとつながる可能性があります。

本研究の成果は、2017年5月22・23日に、Biomagnetic Sendai 2017の本会議およびそのサテライトミーティングにおいて論文発表されます。

【Biomagnetic Sendai 2017 】
場所:仙台国際センター
日本生体磁気学会 【国際臨床脳磁図学会 理事長 東北大学医学系研究科 教授  中里 信和 からのコメント】

脳磁図が脳機能研究や脳疾患の診断に応用され40年を経過している。時間・空間のいずれの分解能にも優れた検査法であるが、残念ながら従来の超伝導センサを用いた計測方法では、頭皮に接触させて計測できない、長時間の頭部の固定が必要である、維持費が高い、などの問題から利用は限定的であった。室温で作動する生体磁場センサの登場は、以前から熱望されていたのだが、微弱な脳信号を計測するには感度があと一歩という状況であった。
今回の研究成果は、脳磁図の応用範囲を拡大に飛躍させることにつながる。東北大学は日本における脳磁図研究のメッカでもあり、今週は国際学会も開かれる。今後は工学研究科と医学系研究科が一体となり、新しいセンサを用いた応用研究を展開していきたい。

【背景と経緯】

世界中で社会の高齢化が進む中で、心臓や脳の疾患が原因で死に至るケースは少なくありません。しかし、現状では心臓、脳の精密検査には高額な診察料が必要であり、検査ができる施設も限られている状況です。本研究開発は、誰もが気軽に自分の心臓、脳を日頃からチェックできる環境を作り、健やかな高齢化社会の実現を目指すものです。

心電図や脳波などの生体信号を電気的に計測する技術は、非侵襲的な機能検査として広く用いられています。しかし、測定対象となる電気的活動が伝導率の異なる血液、髄液、骨、皮膚などを通して伝播するため、その過程において信号が変化してしまうという問題があります。これを克服するために開発されたのが、生体信号を磁気で計測する心磁図と脳磁図です。磁気を用いて計測する場合、心臓、脳、骨、皮膚、空気に至るまで、磁気の透磁率はほぼ一定であるため、より正確な生体活動の測定が可能となります。心磁場の大きさは10-9~10-10 T、脳磁場では10-12~10-15 Tという非常に微小な磁場であるため、現状の心磁計、脳磁計においては、超伝導を利用したSQUID注3が用いられています。しかし、現行のSQUIDを用いた心磁計、脳磁計ではSQUID素子を低温に保つために高額な液体ヘリウムが必須であること、液体ヘリウムを貯蔵するためのデュワーによって、センサと測定対象物の距離が離れてしまうことで空間分解能が低下し、また、観測する信号が小さくなってしまう問題があります。

一方、我々が開発した強磁性トンネル接合(MTJ)素子を利用したセンサは室温動作が可能であり、密着型、かつ、小型化に利点を有しており、SQUIDが抱えている諸問題を全てクリアできます。図1に現行の心磁計および脳磁計の写真と、我々が開発に着手したMTJ素子を用いた心磁計、脳磁計の概念図を示します。センサおよびアンプなどの計測回路を一式としたユニットを、多数配置した「ウェアラブル」なスーツ、あるいは、覆面状のシートを体に密着させて測定することができます。これを可能にしているのは、MTJ素子が室温で動作するという特徴によります。加えて、MTJ素子の出力は素子の大きさに依存しない、すなわち微細に加工しても感度が劣化することがない特徴を有します。したがって、センサ素子を体表面に密着させ、素子の占有密度を向上させることで、空間分解能を現状のSQUIDに比べて格段に向上させることが可能となります。

これまでの我々の研究において、低ノイズのMTJ素子と低ノイズ回路を開発することにより、MTJセンサで測定したデータを数百回積算することで、心臓磁場の検出に世界で初めて成功しました。また、特殊なシールドルーム注4が不要でかつ被験者が動きながらの測定も原理的に可能であることを示しました[1]。しかしながら、心磁場をリアルタイムで計測する、または、より微小な脳磁場を検出するためにはセンサの感度が大幅に不足しており、感度の劇的な向上が求められていました。本研究成果は、新材料開発、集積化技術の向上、磁束収束構造(フラックスコンセントレータ)の適用によって、従来センサ素子の1500倍に及ぶ飛躍的なセンサ出力上昇を達成したものです。

前述のMTJ素子を利用した画期的な心磁計、脳磁計が実用化しても、生体内の部位や位置に関する情報は、現状では核磁気共鳴現象を利用した磁気共鳴像(MRI)が利用されています。現状のMRIでは、大がかりでかつ液体ヘリウムを用いる装置が一般的であるため、心磁計、脳磁計のみを簡易化させても、実用的にはその効果は大きいものが見込めません。そこで、本研究では、心磁計・脳磁計用のMTJセンサを利用して、核磁気共鳴信号を、心磁場や脳磁場と同時にかつ簡便に計測するための技術開発を行いました(図2)。本研究において、MTJセンサ素子を用いてプロトンの核磁気共鳴を観測し、MRIへと応用できる可能性を初めて示しました。

[1]東北大学プレスリリース,2015年7月


図1 MTJセンサを用いた室温心磁計・脳磁計の概念図


図2 心磁図と核磁気共鳴像同時測定の概念図

【開発の内容】

(1)高感度MTJ素子の開発

室温における心磁場のリアルタイム計測および脳磁場の検出のために、MTJ素子の感度向上およびノイズ低減を実現する材料探索・新素子構造の開発を行いました。ヒトの心臓から発生する磁場の大きさは100 pT程度と言われており、地磁気の数百万分の一の微小な磁場です。この微小な磁場を計測する際、MTJ素子のノイズが心磁場の信号を上回ってしまう可能性があります。ノイズ低減のための有効な手段として、素子を多数集積したアレイ状のセンサを作製する方法があります。本研究ではノイズ低減のために、従来に比べて8倍の高集積(MTJ素子数:40,000個)アレイ構造を作製し、ノイズを1 Hzにおいて1.2 nV/√V//Vと、従来の素子と比較して2.5分の1に低減することに成功しました(表1)。また、フラックスコンセントレータと呼ばれる磁束を収束する材料および構造の開発を行い、信号出力を1500倍に増大することに成功しました。これによる感度を6倍改善しました。以上の集積化技術とフラックスコンセントレータを組み合わせることで、15倍の感度向上が可能になりました(図3)。


図3 開発した高感度MTJセンサ素子の模式図

  シグナル@1 Hz
(μV/μT/V)
ノイズ@ 1Hz
(nV//√Hz/V)
磁場感度(pT)
@ 1 Hz
磁場感度(pT)
@ 1 kHz
従来素子 51 3.1 60 8
高集積化素子 49 1.2 25 -
フラックス
コンセントレータ
77,000 690 10 -
表1 作製したMTJ素子のシグナル・ノイズと磁場感度

(2)MTJ素子を用いたNMR観測

室温かつ地磁気レベルの超低磁場下においてMRI像を測定するための基盤技術として、(1)の高感度MTJ素子を用いたプロトン核磁気共鳴(NMR)信号の検出を目指して研究を行いました。

プロトンに磁場を印加すると、共鳴現象により歳差運動が生じ、微小な交流磁場(核磁場)が発生します。地磁気程度の低磁場下では、数 kHzの周波数でpT程度の微小な核磁場が生じます。本研究開発では、(1)のMTJ素子の高感度化に加えて、NMR検出用のセンサ回路など周辺回路を新規に設計・製作することで、 プロトンNMRの自由減衰振動(FID)信号検出に成功しました(図4)。


図4 MTJ磁気センサを用いたNMR測定の概念図

【今後の展望】

これまでSQUIDを用いた心磁場・脳磁場の診療は、その有用性は認識されていたものの、空間分解能、使い勝手およびコスト面で普及が進まず、限られた施設でのみ行われていました。本研究で開発したMTJセンサを用いた室温動作の心磁計・脳磁計が実現すれば、この問題を一挙に解決し、いつでもどの病院でも、極端には家庭においても、心磁場・脳磁場をチェック可能になります。

今回の飛躍的なセンサ感度の上昇により、心磁図をリアルタイムで計測可能になったため、室温心磁計への応用の動きが急激に加速することが期待されます。また、MRI像との同時計測が可能なMTJ心磁計が実現することにより、不整脈、狭心症、心筋梗塞部位の診断精度が格段に向上し、安全に術前評価が可能となります。また、心筋梗塞のリスクを有する年代に対して、従来よりも圧倒的に安価な健康診断への応用が期待されます。

脳磁図の応用については、本研究で実現したセンサの感度でも、未だ用途が限定的ではありますが、振幅の大きな脳信号を発生する薬剤抵抗性てんかんの術前治療で威力を発揮することが期待されます。てんかん異常波は常に出現するとは限らないので、一般的に長時間の測定が必要とされていましたが、MTJを用いた室温動作・密着型の脳磁計では、拘束度が低いために長時間の連続計測が可能になります。さらにMTJ素子の感度を向上することで、様々な用途への展開が期待されます。例えば、脳梗塞の初期診断、アルツハイマー病などの認知症の診断、精神疾患の診断などにも脳磁図診断は応用が可能であり、MTJ脳磁計による安価な計測が可能になれば、脳ドックのような健康診断装置として広い普及が期待できます。このような夢を現実化するために、さらなる研究開発の進展が期待されます。

本研究は、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)研究成果展開事業 戦略的イノベーション創出推進プログラム(S-イノベ)における研究開発テーマ「スピン流を用いた新機能デバイス実現に向けた技術開発」(プログラムオフィサー:安藤功兒)の研究開発課題「トンネル磁気抵抗素子を用いた心磁図および脳磁図と核磁気共鳴像の室温同時測定装置の開発」(プロジェクトマネージャー:安藤康夫)の一環として実施されました。また成果の一部は共同研究会社、ならびに東北大学材料科学高等研究所(AIMR)・水上成美教授との共同開発によります。

【用語解説】

注1 MRI(核磁気共鳴画像法,magnetic resonance imaging)
MRIはMagnetic Resonance Imagingといい、体内の水素原子核(プロトン)の核磁気共鳴(NMR,nuclear magnetic resonance)の状態を画像化する方法である。体内に含まれるプロトンの濃度によって像のコントラストが変化する。X線のような放射線を使用せず、きれいな体内の断層画像を得る事ができる。

注2 MTJ(強磁性トンネル素子,magnetic tunnel junction)
厚さ数nm(nmは10億分の1メートル)以下の非常に薄い絶縁体(あるいはトンネル障壁)を2枚の強磁性体の電極で挟んだ構造の素子を強磁性トンネル素子(MTJ)という。2枚の磁性層の磁化の方向が平行のときには、2枚の電極間の抵抗が小さくなり、反平行のときには抵抗が高くなる。この現象をトンネル磁気抵抗(TMR)効果という。室温TMR効果は1994年に東北大学の宮﨑照宣教授によって発見された効果である。これは後に高密度ハードディスクの読み出しヘッド、および高密度不揮発性磁気メモリへの実用化が進められた。なお、この抵抗の変化量を磁化が平行のときの抵抗値で割ったもの(変化の割合を表す)をトンネル磁気抵抗(TMR)比という。

注3 SQUID
超伝導量子干渉素子(Superconducting QUantum Interference Device)の略。超伝導リングにジョセフソン接合部を設けた、微小な磁場を測定する磁場センサ。fTオーダーの微小磁場も検出可能であるが、素子を超伝導状態に冷やす必要があり、液体ヘリウムが必須である。

注4 シールドルーム
微小な電磁的な測定をするために、電磁波を外部から遮蔽するように設計された部屋のこと。必要とする測定対象物により、シールドの性能が10dB程度から100dB以上まで様々なタイプのものが存在する。内部の雑音電磁場を減らすために、金属製の板、導電性材料などで部屋全体を覆い囲んであり、開口部のシールドも重要になる。

【お問合せ先】
東北大学工学研究科・工学部 情報広報室
TEL:022-795-5898
E-mail:eng-pr@grp.tohoku.ac.jp
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