東北大学工学研究科・工学部
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2009/07/17

応用物理学専攻の安藤康夫教授の研究グループは室温で世界最高(1056%)の磁気抵抗効果を示す素子の開発に成功しました。


【研究成果】
東北大学大学院工学研究科(工学研究科長:内山勝)の安藤康夫教授のグループは,世界最高性能の強磁性トンネル接合(磁石を用いたナノ構造デバイス,以降MTJ(Magnetic Tunnel Junction))の開発に成功しました。MTJは,消費電力を極限まで低減させた将来の環境対応型電子デバイスとして期待されている不揮発性集積回路(不揮発性記憶機能と演算機能を一体化させた集積回路)に不揮発性記憶機能の性質をもたせる役割を果たしている素子です。今回の高性能MTJ素子開発の成功は,不揮発性集積回路開発にとって大きなブレークスルーであり,同集積回路の実現に向けて大きな前進となりました。
現在,高性能ハードディスクの信号読み取り素子としても用いられているMTJの基本構造は磁石の性質を持つ薄膜(強磁性膜)2枚で非常に薄い(原子数個のオーダーの)絶縁膜を挟んだ構造をしています。しかしながら,この素子構成による信号出力の向上は実験的にも理論的にも限界に近づいてきていました。今回,上記グループはMTJの基本構造を強磁性膜3枚と絶縁膜2枚による,二重トンネル障壁構造とすることにより,信号出力をこれまでの7割近くも一気に向上させることに成功しました。
記憶素子の特性が大きく向上することにより,上記の不揮発性集積回路を動作する際の消費電力を格段に低減させることが可能となります。さらに将来的には,この素子の大きな出力変化をスイッチ動作として利用する,いわゆるスピントランジスタの実現も夢ではなくなりました。現在,半導体による集積回路およびトランジスタは産業界から家庭,さらには個人の携帯電話の中にまで幅広く使われてきていますが,その省電力化が大きな問題となってきています。不揮発性のデバイスがこのような全ての電子機器に搭載されれば,その省電力化,ひいてはCO2の排出量削減に大きく寄与するものと期待されます。
本研究は文部科学省「高機能・低消費電力スピンデバイス・ストレージ基盤技術の開発」(代表者:大野英男,東北大学電気通信研究所附属ナノ・スピン実験施設 教授)において実施されたものです。また研究の初期段階における実験の一部は日本学術振興会の日中交流事業共同研究により行われました。素子の作製にあたっては株式会社アルバックのご協力を得ました。本研究成果は応用物理学会の論文誌「APEX (Applied Physics Express)」の7月17日付けオンライン版に公開されます。


【研究成果の背景】

電子は電荷とスピンという二つの性質を持っています。さらに,スピンには上向きのスピンと下向きのスピンの二種類が存在し,いわば電子自身が究極の微小磁石であると考えるとわかりやすいイメージになります。今日の電子デバイスは電子の流れを制御することで様々な機能を発現させているものですが,この電子に磁石の情報を乗せることで,これまでとは全く異なる原理による新しい電子デバイスを創成することができます。これがスピンを応用したエレクトロニクスという意味の「スピントロニクス」と呼ばれている工学分野になります。
磁石(強磁性体)の中を流れる電子はこのスピンの方向が揃っています。従って強磁性体を電極とした電子デバイスをつくれば,電子のスピンの性質を利用した新しい機能を発現させることが期待できます。しかしながらこのようなスピントロニクス技術はこれまであまり利用されてきませんでした。それは,スピンの情報を利用するためには,素子構造をナノサイズに加工する必要があったからです。近年になって素子の微細加工技術は格段に向上し,電子におけるスピンの情報を積極的に利用することができるようになってきました。いわゆるナノテクノロジーの発展とスピントロニクスの発展は切り離せないものとなってきているのです。このような技術を最初に印象づけたのが,1988年にP. Grünberg博士とA. Fert博士により発明された巨大磁気抵抗(GMR)素子というもので,強磁性薄膜と磁性を持たない金属薄膜を積層構造にしたものです。磁気抵抗効果とは,外部から素子に磁界を与えたしたときに,2枚の強磁性薄膜の相対的な磁石の方向に依存して素子の抵抗が変化する現象です。この素子をハードディスク(HDD)の読み出し用センサとして用いることによりHDDの記録密度は飛躍的に向上しました。この功績により彼らは2007年にノーベル物理学賞を受賞しています。また,1994年には東北大学の宮?照宣教授らによりGMR素子よりも大きな磁気抵抗効果を示す,強磁性トンネル接合(MTJ)が開発されました。これは強磁性薄膜2枚で非常に薄い絶縁体薄膜(当時は酸化アルミニウムを用いた)をサンドウィッチした構造をもっています(図1(a))。
その後,2004年に産業技術総合研究所の湯浅新治博士らはキャノンアネルバ株式会社と共同で,MTJの強磁性層としてホウ素をドープした鉄コバルト合金(CoFeB),絶縁体薄膜に酸化マグネシウム(MgO)を使用することにより磁気抵抗変化率を大きくすることができるという画期的な技術を開発しました。以来,磁気抵抗変化率は年々向上し続けてきています(図2)。これらの成果によりMTJはハードディスクの読み出し用センサへの応用だけでなく,これを半導体技術と融合することにより実現できる不揮発性磁気メモリ(MRAM)の開発が全世界的に加速してきています。
MRAMの実用化が着々と進んでいる一方で,不揮発性の記憶機能に演算機能を一体化させた不揮発性集積回路を実用化するためには,これまでの磁気抵抗変化率の大きさはまだ不十分でした。しかしながらこれまでのCoFeB/MgO/CoFeBを基本構造とするMTJにおける出力向上には限界が見えてきはじめてきていました。これ以上の高出力化を図るためには,後述の理由から,全く新しい技術の開発(イノベーション)が求められてきていました。


【研究成果の詳細】
本研究の開発グループは,これらの問題を解決するために,素子の構造をCoFeB/MgO/CoFeB/MgO/CoFeBのように,強磁性膜を3枚,絶縁膜2枚設けた,いわゆる二重トンネル障壁構造をもつMTJを開発しました(図1(b))。特に,強磁性膜2(本研究においてはCoFeBを用いた)の膜厚を1.2 nmと原子が数個程度の非常に薄い薄膜とすることにより,磁気抵抗変化率が室温で1056%という非常に大きな値を得ることに成功しました(図3)。
これまでの素子構造における磁気抵抗変化率は年々少しずつ上昇してきてはいるものの(図2),素子の構成や熱処理条件などに制約が多くなってしまい,その素子を実用化するに当たっての大きな障害となりつつありました。また,これまでの素子構造においては理論的にもこれ以上劇的に磁気抵抗変化率を上げることができないという本質的な問題をかかえていました。今回我々が開発した素子は,絶縁層の中間に新たに極薄の強磁性膜を挿入することにより,これまで問題となっていた点を全て解決できる,画期的な技術を開発いたしました。その特徴を以下に箇条書きで示します。


  1. 磁気抵抗変化率をこれまでの素子構造のもの(最高で604%)と比較して格段に向上させる(1056%)ことに成功しました。二重トンネル障壁MTJは中間の強磁性膜の厚さ,および,素子に加える電圧の大きさに対して,磁気抵抗変化率が非常に大きく変化することを詳細な実験から見いだしました。これまでの実験結果からは,中間の強磁性膜の厚さを1.2 nmとし,加える電圧を±0.1 V前後とすることにより,その効果が最大であることがわかりました。

  2. トンネル素子の抵抗値は絶縁層の厚さにより大きく変化します。通常は絶縁膜を厚くすると抵抗値は極端に大きくなってしまいます。すなわち,絶縁層を2枚にした二重トンネル障壁MTJにおいては,抵抗が直列配列になりますので素子の全抵抗値は非常に大きく上昇してしまい,もはや実用的ではなくなってしまうという考えが常識的でした。ところが今回我々が開発した二重トンネル障壁MTJ素子は,中間の強磁性電極を最適な厚さにすることにより,同じ絶縁層の膜厚をもつ基本構造のMTJ素子の抵抗値よりも低い値を達成しています。これはこれまでの常識を完全に覆す結果であり,何らかの新しい物理的効果が存在していることを示唆しています.

  3. MgOを絶縁層とするMTJは,素子を作製した後に行う熱処理過程において,その温度を高くすると磁気抵抗変化率が徐々に増加することがわかっていました。しかしながらあまり高い温度で熱処理を行うと逆に磁気抵抗変化率は減少してしまいます。これは,素子の結晶性を向上させたり,外部磁界に対する素子の応答性を向上させたりする目的で,MTJの基本構造の上下には種々の特殊な材料を用いた層を数多く設けているために,熱処理温度を高くするとこれらの層からの原子の拡散が顕著となるためであると考えられています。今回開発した技術を用いると熱処理温度が350℃と比較的低い温度においても巨大な磁気抵抗変化率を実現することに成功しました。すなわち,これまで開発してきた実績のある層構成をそのまま利用して,MTJ部分のみを新しい素子に置き換えるだけで大きな効果が得られるため,これまでのデバイス開発投資が無駄にならないという画期的な特徴を有しています。

  4. 図3に示すように,磁界がゼロ付近における抵抗値のジャンプが鋭いことも大きな特徴のひとつです。磁界を正→負とスイープさせたときと,負→正とスイープさせたときの磁化のジャンプする位置(磁界)の差が小さいことから,少ないエネルギー消費で大きな出力変化を得ることが可能です。すなわち,抵抗値の"ハイ"と"ロー"を情報の"1"と"0"に対応させれば不揮発性の磁気メモリとして用いることができ,外部磁界に対する抵抗値の変化そのものを出力とすれば高感度な磁気センサとして用いることができます。

  5. 中間電極は外部の電極から電気的に浮いている(電気的にショートしていない)構造を持っていますので,この素子の外部にゲート電極を設ければ三端子素子への応用が可能となります。外部電界により素子の抵抗を制御することができればトランジスタ動作が期待できます.すなわちこの素子単体で不揮発性記憶機能と演算機能の両特性をもつことが可能となります



図1(a) これまでの強磁性トンネル接合(MTJ)の基本構造。強磁性薄膜2枚で非常に薄い絶縁体薄膜をサンドウィッチした構造をもっている。図は磁石の向き(矢印で示してある)が平行のときを表している。(b) 今回我々が開発した二重トンネル障壁の強磁性トンネル接合の基本構造。中間の強磁性薄膜(強磁性膜2)の磁石の向きを外部からの磁場で動かすことにより,相対的な磁石の方向が平行と反平行をつくることができる。
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図2 磁気抵抗変化率の年次推移。絶縁障壁の材料の変化で磁気抵抗変化率の推移が激変してきた。今回の我々の成果はこれまでの素子構造を変更することで,磁気抵抗変化率の年次推移に大きな変化をもたらした。
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図3 今回開発した二重トンネル障壁MTJにおける磁気抵抗変化率の印加磁界依存性(いわゆる磁気抵抗曲線)。3つの強磁性層の磁石の相対的な方向に依存して抵抗値が大きく変化する。ここでは中間の強磁性層の磁石の方向の変化により,急峻な出力信号の変化を得た。
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【用語解説】

●強磁性トンネル素子,トンネル磁気抵抗効果,トンネル磁気抵抗比
厚さ数nm(nmは10億分の1メートル)以下の非常に薄い絶縁体(あるいはトンネル障壁)を2枚の強磁性体の電極で挟んだ構造の素子を強磁性トンネル素子(MTJ)という。2枚の磁性層の磁化の方向が平行のときには,2枚の電極間の抵抗が小さくなり,反平行のときには抵抗が高くなる。この現象をトンネル磁気抵抗(TMR)効果という。この抵抗の変化量を磁化が平行のときの抵抗値で割ったもの(変化の割合を表す)をトンネル磁気抵抗(TMR)比という。


●酸化アルミニウム,酸化マグネシウム
1994年に室温における大きなTMR比を示す素子を東北大学で開発した。このときにトンネル障壁層として用いられていたのが酸化アルミニウム(Al-O)である。Al-Oは強磁性金属電極上に金属Alを数nmの厚さで堆積させた後に,酸素に暴露する(自然酸化),酸素雰囲気中でプラズマを発生させて酸化する(プラズマ酸化)などの方法により作製する。この方法で作製される絶縁障壁Al-O膜の構造はアモルファス(原子の配列が不規則,あるいはランダム)である。一方,2004年に産総研等により開発されたトンネル障壁層が酸化マグネシウム(MgO)である。MgOは原子が規則的に配列した結晶構造をもつ。このために,電子の散乱が少なく,ある特別な位相を持った電子のみがトンネルするという特徴がある。


●不揮発性磁気メモリ(MRAM)
TMR素子を記憶単体として用いたコンピュータ用メモリをMRAMという。TMR素子は両磁性層の磁化の状態が平行か反平行かで抵抗の大きさが変化するので,これらを情報の‘1’または’0’として記憶させることができれば,記憶を保つために電源を必要としない,いわゆる不揮発性メモリが実現する。1つのTMR素子に記録および読み出しを行うために,ビット線とワード線を格子状に配置し,そのクロスポイントに1つのTMR素子を配置させる。原理的にはこれまでのコンピュータメモリで主流であるDRAMの機能を全て満たしつつ,不揮発かつ高速動作が可能である。

●不揮発性集積回路
上記の不揮発性記憶機能と論理演算機能を一体化させたものが不揮発性集積回路である。現在の集積回路は記憶部と演算部が分離された構造をしているため,これらの間のデータ転送に大きな遅延が生じるとともに,これに伴う電力消費が極めて増大するという問題がある。この問題を解決する一つの方法として,不揮発性記憶(メモリ)部と演算(ロジック)部を近くに配置する不揮発性ロジックインメモリという構造が提案されている。

(参考:平成20年8月21日東北大学電気通信研究所プレスリリース)


【お問い合わせ先】
東北大学大学院工学研究科 応用物理学専攻
教授 安藤 康夫(電話:022-795-7946)
東北大学大学院工学研究科 応用物理学専攻
助教 永沼 博(電話:022-795-7949)

【お問合せ】

東北大学工学研究科・工学部情報広報室
TEL/ FAX:022-795-5898
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