「まだ誰も知らない謎を解き明かしたい」
国際宇宙開発レース、世界一へ。
東北大学 大学院 工学研究科・工学部
航空宇宙工学専攻 スペーステクノロジー講座 宇宙探査工学分野
極限ロボティクス国際研究センター センター長
教授 吉田和哉
世界中が見守る国際宇宙開発レース
「Google Lunar X PRIZE」
無数の星を抱く夜空に浮かぶ、月。この天体を舞台に今、世界中の研究者が行方を見守るレースが開催されている。壮大なレースの名は「Google Lunar X PRIZE」。月面に無人探査機を送り、月面を500m以上走行し、その様子を画像や動画で地球に発信すればゴール。ただし、資金は民間に拠るものであること、というのが条件だ。シンプルで過酷なミッションを一番最初に成し遂げたチームが優勝となり、今後の宇宙開発につながる研究資金と世界一の栄誉を得ることができる。全15カ国から22チーム(2014年1月現在)が参加するレースに、我が国からは1チームが名乗りを挙げた。「HAKUTO」だ。そして日本中が期待を寄せるチームのリーダーを務める人物こそ、吉田和哉教授。8歳の頃に「アポロ11号」月面着陸の中継映像を目にし、天文学に惹かれ、今なお宇宙への情熱を燃やし続ける国内トップの宇宙工学博士である。決して順風満帆な航海ではなかったが、吉田教授が「宇宙が好き」という純粋な思いを捨てることはなかった。それは、「好きなことを追い続ける」ことが、決して無駄にはならないと信じていたからだ。


「緻密な技術を生みだすのは日本の技術」
8歳の少年が夢見た宇宙の世界へ。
東北大学大学院工学研究科、航空宇宙専攻。ここが吉田教授の本拠地だ。教授のもとで学びたいと世界中から宇宙研究を志す学生が集い、研究室は実に多くの国の留学生で賑わう。「宇宙の技術と言えば、確かにアメリカやロシアが牽引してきた歴史があります。ヨーロッパも共同体として着実に実績をあげてきています。しかし今、アメリカを代表する航空機『ボーイング787』をつくる技術は、かなりの部分を日本が占めていることも事実なんです。超軽量で経済性の高い航空機を実現させた複合材料の開発をリードしたのも、東北大学の研究者でした」規模の大きさでは一歩譲るという現実があるものの、緻密な技術を生みだすのは日本の力だと吉田教授は話す。モノを極限的なまでに作りこんでいく精神性は日本ならではであり、世界に負けない長所なのだ。8歳の吉田少年がテレビを通して目にした「アポロ11号」月面着陸から40年あまり。子どもながらに純粋に感動したという小さな原点から、世界と競り合う航空宇宙学のフロンティアへと続く道の途中には、高校2年生の時、大きな岐路があった。

忘れていた大切な「ワクワク」
第二志望の道でも夢は決して捨てないこと。
アポロ以降も宇宙への興味は続いていたものの、中学高校と進むにつれ、学校の成績を上げることに心を砕くようになっていった。勉強に追われ進路選択が迫る高校2年生のある日。東京天文台(現国立天文台)の研究者が、心を掴む楽しい宇宙の話をしてくれた。「先生の話は、自分が宇宙に惹かれていたことを思い出させてくれたんです。自分が何をしたかったか、忘れていたんですよね。大切なのは、ワクワクすること。宇宙にワクワクするなら、その道に進もうと思ったんです」就職から逆算された進路、受験のために語る夢。若いうちに行く先を確立させなければならないという風潮があるが、無理してつくるものではない。大人になってあらためて思うと、吉田教授は続けた。「でも実際は、一番行きたかった天文学の道には進めなかったんです。一浪してチャレンジしても、受かったのは工学部だったんですよ。その時は正直、ブルーでしたね」決して工学部が第一志望の進路ではなかったと笑う。しかし宇宙が好きという気持ちは捨てず、大学では工学部で学びながら天文同好会に所属した。天文にふれる機会からは決して離れなかった。


東北大学 大学院 工学研究科・工学部
航空宇宙工学専攻 スペーステクノロジー講座 宇宙探査工学分野
極限ロボティクス国際研究センター センター長
教授 吉田和哉

1984年、東京工業大学工学部卒業。1886年、同大学院工学研究科修士課程を修了し、東京工業大学助手、マサチューセッツ工科大学客員研究員等を経て、1995年より東北大学へ。2003年より現職。研究分野は、宇宙ロボット工学、ロボットのダイナミクスと制御、探査工学、超小型衛星の開発。1998年より国際宇宙大学の客員教員として、国際的な宇宙工学教育にも貢献している。