「これからは工学が医療を発展させていく」
がん治療の最先端、粒子線治療装置開発。
株式会社日立製作所
ヘルスケアビジネスユニット
放射線治療システム事業部
設計本部 システム設計部 システム計画グループ
伊藤友紀
がん治療の最先端技術、粒子線。
「いつか、がんも通院で治せる病気に」
国民病や不治の病と呼ばれ、かつて恐れられてきたさまざまな病気が、現在では早期治療により克服できる可能性が高まっている。「かかれば必ず命を落とす」と言われてきた病が、一つ、また一つと克服されていく。百年前の医療現場からは、想像もできなかったことだろう。その陰には、いつも医療と工学の飛躍的な進歩があった。「いつか、がんも普通の病気と同じように、病院に通いながら当たり前のように治療できる病気になれば」株式会社日立製作所に勤務する伊藤友紀さんは、がん治療の最先端といわれる「粒子線治療」に携わる一人だ。「粒子線」とは、電離能力を持った高エネルギー粒子の流れである放射線の一種で、がん治療には陽子線や炭素線などが使われる。従来のX線を用いた放射線治療よりも、特定部位に集中的に照射できることから、がん細胞の周囲にある正常な細胞への照射を抑えられることが特徴だ。つまり、がん治療における患者の負荷、副作用が少なくなり、日常生活への影響を最小限に抑えた治療ができるようになる。しかしまだ従来の放射線治療よりも認知度が低く、一般には知られていない。伊藤さんの目標は、この「粒子線治療」を日本中に、世界中に広めていくことだ。


大きな転機は、物理の先生との出会い。
「これからは、工学が医療を発展させていく」
両親ともに理工系出身という家庭に育ったが、小さい頃は特に理科や数学が好きというわけではなかった。伊藤さんが工学の基礎ともいえる物理に目覚めたのは、高校2年生の時。「物理の先生が東北大学出身で、数式をたどって物理の問題を解いていく面白さを教えてくれたんです。わからなかったことがわかるようになるプロセスが、純粋に楽しいことだと感じました」教わったのは、物理の面白さだけではない。今でも忘れられない言葉をもらった。「これからは医師だけではなく、工学が医療を発展させていく」進路を決めかねていた伊藤さんはこの言葉に背中を押され、東北大学工学部への進学を決意。医療ロボットに興味をひかれ、機械知能・航空工学科で学ぶことにした。学部での4年間は、実験とレポート漬けの日々。将来についてあまり想像できていなかったという伊藤さんは、とにかく興味のある分野すべてを学び、あらゆる知識を身につけることに奮闘した。やがて成績優秀者として履修制限が解除されると、専攻以外の授業も履修。すべて英語で行われる授業にも、率先して出席した。さらに英語を磨くため、4年間で二度の留学にも挑戦する。「最初はヨーロッパの小さな島、マルタ共和国。2回目がニュージーランドのクライストチャーチでした。午前中は語学学校、午後は現地で仲良くなった友達と観光という毎日で、本当に充実した時間を過ごすことができました」

「もしあの時、この治療法があったら」
自分がこの研究を前に進めていく。
学部3年後期、研究室選び。4年生から所属する研究室を選択するということは、将来への道をいよいよ絞り始めるということ。伊藤さんは自分の将来を狭めたくない、選択を間違えたくないという思いから、慎重になっていた。そんな中、複数の研究室の中からたった一つのテーマが目に飛び込んでくる。「体にやさしいがん治療」詳しい説明を読むと、日常生活のリズムを大きく崩すことなくがんを治療できるようになる「粒子線」を研究しているという。大きな衝撃を受けた。実は伊藤さんの母親は以前がんになり、治療を受けたことがある。気丈な母が「入院なんてしていられないのに」と弱気に話す姿がショックだった。「もしあの時、この治療法があったなら、母は長く入院することなく、通院で完治を目指せたんじゃないか。そう思ったんです。時間を戻すことはできないけれど、世界中でがん治療に悩む人のために、自分がこの研究を少しでも前に進めることはできるはずだと思い、石井・寺川研究室に入ることを決めました」研究室では、加速器と呼ばれる機械を用いた粒子線実験に明け暮れた。一人では動かすことのできない大型の加速器。学部生が自由に利用できる環境は全国的にも貴重だった。「ここなら自分が思い描く実験を続けられる」大学院もそのまま東北大学の工学研究科を選び、学会発表や他大学との交流を経験。いつの間にか、再び就職という進路選択の時期が訪れていた。


株式会社日立製作所
ヘルスケアビジネスユニット
放射線治療システム事業部
設計本部 システム設計部
システム計画グループ
伊藤友紀

2004年、埼玉県立大宮高等学校卒業。2009年、東北大学工学部機械知能・航空工学科量子サイエンスコースを卒業、東北大学大学院工学研究科量子エネルギー工学専攻へ。2011年、同専攻を修了し、4月より株式会社日立製作所に入社、粒子線治療システムの設計開発に従事、現在に至る。