「待ち望んでいる人がきっといる」
バイオマーカー検査に、新しい道を切り拓く。
コニカミノルタ株式会社
開発統括本部 バイオ要素技術開発室
バイオシステム開発グループ SPFS開発
マネージャー/博士(工学)
彼谷高敏
「早期発見、早期治療」を目指して。
血液でがんを見つける、画期的なバイオマーカー開発。
一般的に、病気は症状が軽いうちに気づくことができれば、治療が短期間で済み、日常生活に早く戻ることができる。いわゆる「早期発見、早期治療」の理想的なパターンだ。日本人の死亡原因の1位とされる「がん」も、早期に発見することで、治療の選択の幅が広がり、その後の生活への影響を小さく抑えられるようになる。そのため現在、心身への負担が少なく、がんを早期に発見できる検査の技術開発が進められている。中でも、血液のみでがんの有無を判断できるバイオマーカーへの期待は大きい。コニカミノルタ株式会社に勤める彼谷高敏さんは、腫瘍マーカーと呼ばれる既存の血液検査の壁を打ち破る、画期的なバイオマーカー開発に携わる一人だ。現在の研究のターゲットは、近年特に急増しているという前立腺がん。企業の中で研究を行う難しさ、面白さ、そして研究の先に見る目標、彼を動かし続ける原動力とは一体どんなものだろうか。


アポロ13の技術者に憧れ工学の道へ。
「学問は、役に立たなければ意味がない」
彼谷さんが最初に出会った「研究者」は、実の父だった。父は東北大学を卒業すると、国内の研究所に勤め、アメリカ留学を経て、再び日本に戻ると研究所勤務を経て大学教授として教鞭をとった。約1年間のアメリカ留学には家族全員で同行するなど、常に研究者の背中を見て育った。また、小学4年生の頃には、クリスマスプレゼントに希望とは違う“顕微鏡”を贈られるなど、父からの影響は決して小さくなかっただろう。しかし、彼谷さんをより大きく突き動かしたのは、アポロ13の軌跡を描いた本だった。「最初の大学受験は勉強量が圧倒的に不足していたんですよね。どこにも受からず浪人することになって、改めて進路について考えるようになりました。そんな時、たまたま自宅にあったアポロ13の本を読んで、ものすごく感動したんです」彼谷さんの心を掴んだのは、ヒーローのような宇宙飛行士よりも、地上で彼らを支えている管制官たちだった。宇宙で起きる不測の問題に対し、次から次へと解決を生み出していくチームの活躍に、強く惹かれた。そして進路が定まる。工学部だ。大学は、研究や実験を大切にする風土があると聞いた東北大学を選んだ。合格を勝ち取って臨んだ入学式では、「学問は、役に立たなければ意味がない」という学長の言葉が印象的だった。研究成果を社会のため、人々のために役立てる「実学尊重」の精神が、心に刻まれた瞬間だった。

人も資料も足りない、新しい研究室。
まわりに助けを求めながら学ぶ、貴重な体験。
当時は入学時に学科が分かれておらず、2年生から学科・コースを選ぶ制度だった。彼谷さんは、化学合成から物理、デバイス系まで、分野横断的に多種多様な研究室を擁する化学バイオ工学科を選択。4年生のゼミ選びでは、「ライフサイエンス」を扱う末永(まつえ)智一教授の研究室に入った。「この研究室が、できたばかりの若い研究室で。人も資料も、周囲より断然少なかったんです。研究するにも論文を書くにも、まわりに助けていただかないといけない状況でした。でもそれが、今になってみればものすごく貴重な経験だったんです」彼谷さんの研究テーマは、特定の細胞や微生物を応用した電気化学センサー。特に最近注目が高まっているバイオデバイスの先駆的なものだった。研究を始めるにあたり、彼谷さんは細胞や微生物に対する知識不足を痛感。資料や論文のデータ化・集約がまだ進んでいなかった当時、離れたキャンパスにある農学部の授業を自由聴講したり、医学部の図書館で論文を読みあさったり、あらゆる知識を求めて奔走した。工学部内でも、学科や研究室の壁を超えて門を叩き、各分野の専門家から多くを学んだ。「すべてが十分に整っている環境が、必ずしも良いとは限らない。手元にデータがなくても、尋ねれば親切に教えてくれる教授たちが東北大学にはたくさんいました。自ら動き学ぶという体験は、今の仕事にもしっかり生きていると思います」


コニカミノルタ株式会社
開発統括本部 バイオ要素技術開発室
バイオシステム開発グループ SPFS開発
マネージャー/博士(工学)
彼谷高敏

富山県出身、茨城県立竹園高等学校卒業。1995年、東北大学工学部入学、2001年、日本学術振興会特別研究員、2004年、東北大学大学院工学研究科生物工学科博士課程修了。体外診断薬メーカー勤務を経て、2007年よりコニカミノルタ株式会社へ。ライフサイエンス技術準備室などで一貫してSPFS開発を担当し、現在マネージャーを務める。