東北大学 工学研究科・工学部 Driving Force 明日を創るチカラ INTERVIIEW REPORT
東北大学 工学研究科・工学部 Driving Force 明日を創るチカラ INTERVIIEW REPORT

驚かせたい、
喜ばせたい、
人を笑顔にしたい。

株式会社ピー・ソフトハウス
首席研究員
工藤 拓磨

© School of Engineering, Tohoku University

入社2年後に訪れた転機。
「何か面白いものが
できそうだから
やってみない?」

iPadをはじめとするタブレットでは定番の一つともいえる『Zen Brush』、スマホで手軽に楽しめるAR(拡張現実)アプリとして大ヒットした『AR Missile』、アニメ制作現場では欠かすことのできないツールにまで成長したライン描画ソフト『Pencil+』。これらを世に送り出し、斬新な発想と高い技術力が評価されている企業が仙台にある。その名は、株式会社ピー・ソフトハウス(以下、PSOFT)。ここで主席研究員を務め、常に開発研究の中心にいるのが、東北大学工学部電気工学科OBの工藤拓磨さんだ。大学卒業と同時にPSOFTに入社した工藤さんは、当時の思いをこう語る。「それまで培ったプログラミングやDTM(デスクトップミュージック)の能力を生かして、どこかゲーム制作会社に入れないかなと、かなり緩い感じで就職活動を行なっていました。大学入学直後からインターンのような形でつながりのあったPSOFTから声を掛けていただき、仙台のゲーム制作会社の中では最もメジャーなタイトルを制作していた会社だったことから入社を決めました」  当初、プレイステーション用のゲーム開発チームの一員としてプログラミングを担当していた工藤さんだが、入社2年目の2002年に転機がやってくる。 “ゲームメーカーの下請け”というポジションからの脱却を目標に、PSOFTオリジナルの製品開発を進めようという新たな方向性が示されたのだ。「その時、開発担当として白羽の矢が立ったのが私。独自の製品を開発するには、数学や物理への理解などそれなりに高度な技術が必要です。工藤なら何か面白いものができそうだからやってみない? そんな軽い感じの言葉に乗せられて、研究員としての新たな挑戦がスタートしました」

数値の羅列をグラフィカルな
シミュレーションに。
プログラミングの知識を
卒業研究に生かす。

 

研究員としてかなり自由にやらせてもらっていると話す工藤さん。最初に取り組んだのが、CGソフト(『Pencil+』など)と音声信号処理(『VOID Modular System 』など)の技術開発だ。『Pencil+』がアニメーション業界に広く浸透した背景を工藤さんはこう分析する。「『Pencil+』以前にも同様の機能を持つソフトはあるにはあったが、それらはすべて外国製。アニメーション制作が盛んなのは日本なのに、ソフトウェアは海外のものを使う。そこにミスマッチが生じていた。日本のアニメーション制作の現場にマッチしたソフトウェアを、という私たちの思いが受け入れられた結果だと思います」  もう一つの開発対象だった音声信号処理の分野は、工学部時代に所属した“生体コンピューティングシステム研究室”での研究経験が生かされているという。研究室時代に取り組んだテーマは、「任意物体のエコー定位に関する研究」。対象はコウモリ。コウモリは口から出した超音波をキャッチし障害物やエサなどの物体を認識しているが、音で物体の形を表現するにはどんな情報が必要かを探るというものだった。こうした研究でデータを扱う場合、単なる数値の羅列がほとんどというなか、プログラミングの知識を活用した工藤さんのシミュレーション手法は異彩を放ったという。「グラフィカルに動くシミュレーションのプログラムを組んだら、『これはすごい!』と研究室のみんなが驚いてくれた。『何て頭のいい人たちなんだろう』と思わされることの多い面々から、自分の組んだプログラムが称賛される。そのうれしさ、楽しさは何ものにも替え難く、将来はゲーム作りの道に進みたいという思いがさらに強くなりました」

東北大学 工学研究科・工学部 Driving Force 明日を創るチカラ INTERVIIEW REPORT

プログラミング通りに
パソコンが動く面白さ。
「いつかは自分でゲームを
作ってみたい」

 工藤さんとプログラミングの出合いは幼稚園時代にまで遡る。新しもの好きの父親が購入したMSXというホームパソコンがあり、それを操作する父親の姿を見て自分も興味を持ったという。「プログラムコードが書いてある本があり、それを入力して足し算ゲームを作ったのが最初。数字を入れると答えが表示される、本当に簡単なものだったけれど、自分でプログラミングするとその指示通りにパソコンが動く、色を変える命令を出したら画面の色が変わる、そうした一つひとつがとても面白かった。小学生の頃には、キーを押すとキャラクターがジャンプして敵を避けるとか、ちょっとしたゲームが作れるようになりました。友達に見せると『おー、すごい!』と喜んでくれる。それがモチベーションになって、ゲームの世界に入り込んでいった気がします」中学では卓球部、高校では空手道部に所属、勉強が大変になったこともあってプログラミングに割く時間はかなり減ってしまったという。その一方で、夢中になったのがプレイステーションのRPGや格闘ゲームだった。そうした日々のなか、日増しに募る「いつかは自分でゲームを作ってみたい」という思い。高校卒業後の進路決定に際しては、ゲーム関連の専門学校でプログラミングスキルを磨き、その後ゲーム業界へ、という道も真剣に考えていたという。

ゲーム制作は、
プログラミングの知識
だけでは成立しない。
物理や数学などの知識が
仕事の幅を広げてくれる。

「ゲームの専門学校では、ゲームのことしか学べない」という周囲からのアドバイスもあり、工藤さんは東北大学工学部電気工学科への進学を決める。「半導体や情報通信など高い技術と先進的なイメージのあった東北大学で、プログラミングだけでなく、数学や物理学なども含めた広い視野から学んでみようと…。結果的には、大学で4年間勉強したことが自分には合っていたなと思います。ゲーム制作にはCGやアプリ開発などいろいろな分野がありますが、プログラミングの知識だけでは成立しないものがたくさんある。たとえば、キャラクターが動いてジャンプする時、その軌道を正確に知るには物理の計算が必要なように、物理や数学の知識の有無で、受けられる仕事の幅が違ってくるのです」  大学の講義で基礎的な内容を学んだ以外、「プログラミングについてはほぼ独学」と話す工藤さん。工藤さんがスキルを磨く場として選んだのが、パソコン好きの仲間が集まる “マイコンプロシージャ”という学内サークルだった。「知る人ぞ知る的な存在のサークルで、高い技術力を誇っていた。プログラミングと音楽を主に担当していましたが、何か新しいものを作ると、仲間たちが驚き喜んでくれる。そして、その反応を新たな原動力に次のステップへと進んでいく。ここでの経験は現在の仕事の原点ともいえるものです」  ソフトウェア分野は、ハードウェアの進化があって初めて新たな展開が可能となる。ARやVRの分野で、スマホのように爆発的に普及するようなハードウェアが登場した時、新たな開発チャンスが生まれるかもしれない。民間企業の研究員には常に「成果を出さなければ」というプレッシャーがあると話す工藤さん。「そんな時、自分に言い聞かせる言葉が『俺は天才。まかせとけ』そうやって自分を奮い立たせ、プレッシャーの存在を周囲には感じさせないようにしています。ゲームやアプリの開発は、私にとって天職といえるものです。エンターテインメントの世界を仕事場とする人間の使命は、人を驚かせ、喜ばせ、笑顔にすること。だからこそこの仕事は面白いし、やりがいがあるのだと思います」