東北大学 工学研究科・工学部 Driving Force 明日を創るチカラ INTERVIIEW REPORT
東北大学 工学研究科・工学部 Driving Force 明日を創るチカラ INTERVIIEW REPORT

地方に身を置き、
建築を通して社会と向き合う。

株式会社はりゅうウッドスタジオ
滑田 崇志
斉藤 光 REPORT #38

© School of Engineering, Tohoku University

地域のローテックで
「木のまち」の
シンボルをつくる。

福島県の南西部に位置する南会津町。町の面積の9割以上を森林が占め、かつての基幹産業は林業、1950年代には東北地方最大の広葉樹材の集出荷基地だったという。現在の木材生産量は、ピークだった1950年代の1割程度まで激減しているが、「木の町」復活に向け、さまざまな取り組みも始まっている。その一つが、長らく中断していた「林業祭」の再開だ。

そのきっかけとなったのが、2022年4月にオープンした「みなみあいづ森と木の情報・活動ステーション きとね」(以下、「きとね」)である。「きとね」は、構造材や内装材、フローリング、家具などに、地元の森林資源と加工技術を最大限に活用、設計も南会津町に拠点を置く株式会社はりゅうウッドスタジオが担当した。

同社で、「きとね」の設計をした滑田崇志さんと斉藤光さんは、ともに東北大学工学部建築学科(土木工学科と統合し、建築・社会環境工学科へと改組)を卒業、東北大学大学院工学研究科修士課程を修了した後、はりゅうウッドスタジオの一員となった。「きとね」の設計にあたって大切にした思いを、2人は次のように語る。

「思想としては、ローテックで建てられる建築。地元の大工さんたちでつくれるようにしようということを突き詰めました。でも、つくりやすさだけを追求すると、大工さんたちが面白がってくれない。ちょっと頑張ればできるかなというところで最大限のジャンプをしてもらう、そんな設計を考えました」(滑田)

「大切にしたのは、ゆるがない骨格をつくるということです。南会津の人たちが誇りに思えるような、建築の骨格がシンプルに浮かび上がる建築にしたいと思いました。南会津という土地は小さなコミュニティーですから、職人や木材加工者さんたちの顔が見えます。建築という行為を通して、発注者を含め、川上から川下まで共同体の中でシンボルとなる形をつくりたいと思いました」(斉藤)

「きとね」は、2024年に日本建築学会の作品選奨を受賞した。講評は、次のように述べる。「合理的に木材の強度やつくり方を検討しながら、その使用量を最小限にしなくてよいという点を、合理から外していることだ。この『大らかな合理性』によって、これまでにない架構形式を生み出している。それは、地元林業の活性化にもつながるだろう。…この木造空間は、南会津に特有の個別性を持ちながら、他の地域でも使えるような普遍性を見据えている。…これからも、南会津という地域から、世界に臨むようなチャレンジを期待したい」(一部抜粋)。

「きとねの一室空間は、縦ログや重ね梁による架構により、ゆるやかに分節されています。将来、建物の用途が変わってしまうことや、改修、修繕を行うということは十分あり得ること。仮にそうなっても成立し得る、いかようにも使えるような空間にすべきではないかと考え、設計に反映させました。『大らかな合理性』をもちながら木造を考えることで、結果として建築が長く生き延びていくことにつながることに気づかされました」(滑田)

芳賀沼整さんとの出会い、
そして南会津へ。

滑田さんは徳島県生まれの香川県育ち(高校3年の4月に両親の転勤の関係で宮城県仙台市へ)、斉藤さんは愛知県の出身だ。そんな縁もゆかりもない2人を南会津町に導いた人物、それが、はりゅうウッドスタジオの創設者、故・芳賀沼整さんである。芳賀沼さんは40歳を過ぎてから社会人として東北大学大学院修士課程に入学し、地元で設計の仕事に携わりながら、近江隆教授(現・東北大学名誉教授)の主宰する都市分析学研究室で学んでいた。同じ時期、滑田さんと斉藤さんは工学部の学生。20歳も年齢が上の芳賀沼さんは、2人にとって興味深い存在だったらしい。

「芳賀沼さんは冬でもわら草履で歩いていて、最初は『何だろう、この人は?』という感じでしたね。でも話してみるとすごく気さくで、面倒見が良くて、学部の卒業設計でちょっと困っていた時、頼んだわけでもないのですが『何かの役に立てば』と、どこからか古地図を持ってきてくれたり、情報やデータを渡してくれたり、サポートしてくれる方でした」(斉藤)

「芳賀沼さんとの最初の出会いは、建築模型を通してです。学部3年次に近江先生の研究室を訪問した時、近江先生と芳賀沼さんが共同で取り組んでいたプロジェクト『都市計画の家Ⅱ』の模型を見て、これは面白いなと。芳賀沼さんが仙台での活動の拠点とするための住宅で、外壁は紙、冬は室内にテントを張って過ごす住宅で、敷地の両端に接続する2つの道をつなぎ、敷地内に道をつくるというプロジェクトでした。それをきっかけに都市分析学研究室に入り、芳賀沼さんたちのプロジェクトにも関わることができました」(滑田)

斉藤さんは2004年、滑田さんは2005年に修士課程を修了、設計士としての一歩を踏み出す。さまざまな選択肢(建築関連の企業、建築家が主宰するアトリエ系設計事務所、100〜1000人規模で設計専門業務を行う組織設計事務所等)がある中、はりゅうウッドスタジオへの入所という道を選んだ。

「当時は就職氷河期と言われる時代、就職がなかなかうまくいかず、芳賀沼さんに相談すると、『こっちに来て手伝っちゃえば』という言葉が返ってきました。それから間もなく、車の荷台に荷物を積み込んで、本当に転がり込むように南会津に向かったんです。入所後は、芳賀沼さんのやっている木造住宅の設計を少しずつ勉強させてもらいました」(斉藤)

「アトリエ系や企業に入ってしまうと、自分が本当にやりたい建築ができないんじゃないかという思いがありました。近江先生からも『企業に勤めるよりは、どこか地方の小さな会社や組織に入った方がきみは伸びるよ』というアドバイスがあり、ここに来ることにしたんです。芳賀沼さんのお兄さんが工務店を経営している関係もあり、最初から建築現場に出て、大工さんと一緒に仕事をさせていただきました。大工さんにはたくさん怒られましたが、地方の小さな世界の中で、経験を積み上げ、自分を高める時間を持つことができました」(滑田)

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仮設住宅の取り組みから、
縦ログ構法の提案へ。

2010年、2人は新たな挑戦をする。それが「SDレビュー」(主催:鹿島出版会)への応募だ。このコンペは、設計者が明確なコンセプトを導き出す思考の過程を、ドローイングと模型によって示すというもの。共同で制作・応募した「土かまくらの家」は、豪雪地帯かつ寒冷地でもある南会津での経験から、土による大きな蓄熱体を屋根につくり、雪のかまくらのあたたかさを実現しようという環境共生的な住宅プランだった。

「結果は、入選。審査委員長の伊東豊雄さん(せんだいメディアテークなどの設計で知られる世界的建築家)に拾い上げていただきました。展覧会に向けて設計の解像度を上げて挑んだつもりでしたが、その設計案を見て、『コンセプトとかこの案のもつ良さとか、本質的なところに設計者自身が気づいていないのが残念だ』という厳しい批評をもらいました。そこで初めて、これから私たちが考える建築は、論理的な構築の中に、自分たちの希望や社会的な視点を詰め込んでいかないといけないと気づきました」(斉藤)

「南会津からでも、世の中に通用するものがつくれる、そんな希望を持てた挑戦でしたね」(滑田)

そしてその翌年の2011年、はりゅうウッドスタジオにとって大きな転機となる東日本大震災が発生する。地震・津波による被災、福島第一原発の事故による避難などで住宅の確保が急務となる中、はりゅうウッドスタジオとしてまず取り組んだのが木造仮設住宅群の供給だった。仮設住宅には、快適さはもちろん、施工が短期間で済むこと、さらには避難生活終了後の再利用という課題もある。これに応えるものとして、芳賀沼さんらが提案したのが、地元福島県産のスギを使ったログハウスの仮設住宅だった。

「震災後は、建築を通して社会と向き合おうというモチベーションが格段に高まりました。芳賀沼さんにも、自分が取り組むべき仕事がやっと見つかったという思いがあったのではないでしょうか」(滑田)

そうした活動の中から生まれたのが、前述の「きとね」でも採用されている「縦ログ構法」である。これは、木材を縦に並べたパネルを製材所や工務店などの作業場でつくり、現場で組み立てるローテック構法。考案した芳賀沼さんには、「大量の木材使用が見込める縦ログ構法なら、森を活かすことができる」という思いもあったという。

「林業の衰退や森林の荒廃といった問題は、南会津だけの問題ではなく、全国共通です。同じような問題を抱えている地域が、それぞれの地域の木材を使い、地域循環を図っていく。そのための一つの解として、縦ログ構法がある。それぞれの地域で少しずつ形を変えながら、縦ログ構法が広まっていくと良いと期待しています」(斉藤)

はりゅうウッドスタジオは、自らのコンセプトとしてこんな一文を掲げる。「中央ではなく地方(ローカル)の中に身を置くことで、地方の問題が見えてくる。地方の問題は、一地域だけでなく全国に共通している問題でもある。前を向く弱いもの同士の連携が、地方(ローカル)の状況を変えることができる」。

「考えるところの強さ」
を武器に、これからも。

「建築家になれるだろうか、建築を生業にできるだろうかというクエスチョンが、学部生の時からずっと続いていた感じです。それでも、菅野實教授、小野田泰明教授の建築空間学研究室で建築計画を学びたいということだけは決めていました。実際に研究室に配属されてみて、たくさんの建築家と協働する小野田先生の姿を見てきました」(斉藤)

「もともとは環境問題に興味があって、工学部『人間・環境系』というワードに引かれ東北大学を選びました。建築を志すようになったのは、1年次に建築と土木の両方を幅広く学ぶ中で、建築の奥深さやデザインの面白さに気付いたからです」(滑田)

東北大学での日々を振り返り、建築学科ならではの印象的な学びとして2人があげるのが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の学生との交流プログラムだ。このプログラムは、東北大学とUCLAの学生が互いに行き来し、それぞれの設計案を批評し合いながら高めていこうというもの。このプログラムは、修士向けものであったが、斉藤さん、滑田さんは学部の4年次から一部のワークショップに参加したという。

「カルチャーショックでしたね。当時の東北大学の設計教育の流れでは、カタチをどうこうする前に、まず理念から建築に入っていくことが多いんですが、UCLAの学生たちはまず手を動かす」(滑田)

「建築の設計の際、私たち東北大学の学生は考え方や概念から入ってしまいがちだったのですが、UCLAの学生は言葉を1回カタチに落とし、そして、それをプレゼンテーションを通して言葉で説明する。カタチと言葉の相互プロセスを高い練度で繰り返していきます。そういう設計のやり方がとても刺激的で、いいトレーニングになりました。現在も国際ワークショップのカリキュラムは続いているようです。海外で建築を志す学生たちとの交流は、建築に対する価値観を磨くという点でも貴重な経験になると思います」(斉藤)

こうした海外との交流プログラム以外にも、東京で活躍する建築家などを招き、学生の設計案を批評してもらう機会が数多く設けられていたという。

「外の人と触れ合う機会を先生方がたくさん用意してくださいました。外部からの評価を受けることによって、自分の思考の狭さを痛感すると同時に、新しい視点を獲得できたり、設計にもう一度立ち向かう勇気や気力が得られる、そんな経験でした」(斉藤)

大学の建築学科には、大学によって異なる個性があるという。2人が考える東北大学の建築学科の個性は「考えるところの強さ」、考える力を徹底的に鍛える学びにある。

「デザインや設計にすぐに入っていく大学が多いのに対し、東北大学の建築学科では『何のために建築をつくるのか』という根本のところ、社会のシステムや建築のシステムをしっかり考えるというところから学んでいきます。その建築にはどんな背景があるのか、この建築を成立させるためのリソースは何か、そういうことを考えるトレーニングにひたむきに取り組んだことが、今の私たち、はりゅうウッドスタジオの強みになっているのかもしれません」(滑田)

はりゅうウッドスタジオが「つくる」のは、建物だけにとどまらない。それは、モノづくり、コトづくり、場づくり、そして地域づくりでもある。2人はこれからも、「考えるところの強さ」を武器に、スタジオが掲げる「地方から発信する」建築、「南会津とつながる」建築に、真摯に向き合い続けていくことだろう。