自分の意志で、目の前の扉を開く。
仙台と世界をつなぐ
建築デザインを目指して。
カルフォルニア大学ロサンゼルス校
建築・都市デザイン学科 学科長 教授
阿部仁史アトリエ 主宰
UCLAテラサキ日本研究センター 所長
阿部仁史
東北に生まれ世界を舞台に活躍する
建築家に見えているもの。
「日本建築がいま人気です。しかし日本の建築が変わってきたわけではありません。世界の評価軸が変わり、日本の文化が評価されるようになってきたからだと、私は考えます」7月3日の東北大学。工学部中央棟で、一人の日本人建築家が特別講義を行っていた。ロサンゼルスと仙台に建築アトリエを持ち、現在カリフォルニア大学ロサンゼルス校、通称「UCLA」で都市・建築学科長を務める阿部仁史教授だ。講義テーマは「異邦としての日本」。自身が学生時代に感じたこと、日本の建築の可能性、アメリカと日本の差異などを交えながら、日本がいかにして今日までの文化を築き上げてきたかを語る。「日本は世界の文化を受け入れ、形を変え、組み合わせ、昇華して『日本文化』をつくってきました」海外に住んでいると日本を意識するようになる、というロサンゼルス在住ならではの視点にふれ、学生はまだ見えない世界の広さに期待を膨らませた。東北に生まれ、世界を舞台に活躍する建築家の“行動力の起源”はどこにあるのだろうか。


祖父、父に続く3代目の入学。
建築の基礎を学んだ東北大学工学部。
仙台で生まれ小学生時代の多くを福島で過ごした阿部教授。欲しかったラジコンを買うため、新聞配達で資金を貯めるような子どもだった。小学校6年生の頃、新聞配達の先輩に将来の夢を訊かれ、「建築家になりたい」と明言したことを今でも覚えているという。「建築家がどういうものか、本当のところでわかっていなかったとは思うんですけどね。そしてなりたいと言っても、小さい頃から建築家になるための勉強をしていたわけじゃありませんでした」高校時代は向山高校で3年間サッカーに熱中。進学先の大学は自然と、祖父、父が学んだ東北大学を選んだ。建築学科に入学後は、授業以外で自主的な勉強会を持つなど持ち前のリーダー気質を発揮していく。1年生の夏にはアルバイトを通し「何かのスペシャリストになること」を意識。建築に対し真剣に向き合うようになったのは、2年生の後期からだった。「教授や建築家、様々な人と知り合うようになって初めて、建築をしっかり学ぼうと思ったんです」

「東京では駄目だ、アメリカに行こう」
日本とは真逆の環境で建築に没頭。
もっと建築を学びたい、誰かのもとで勉強したい。強く感じた阿部教授は、東北大学大学院に籍を置いたまま、留学することを決めた。「東京では駄目だ、アメリカに行こう」門を叩いたのは南カリフォルニア建築大学、通称「SCI-ARC」のM-ARC3課程。決して整っているとは言えない、しかしモノづくりに直結した環境で、建築に没頭していく。「実は小さい頃エジソンが好きで、発明家になりたいと思ったこともあったんです。今までにない、何か新しいものをつくりたいという気持ちが強かったんだと思います。『SCI-ARC』でモノづくりに向き合えた日々は、本当に貴重でした」さらにアメリカに行ってわかったこととして阿部教授が語ってくれたのは、日本とアメリカの建築学教育の違い。日本の大学では“建築に関わる人”を育てるため、工学やデザイン、社会学など様々な観点から学ぶ。対してアメリカでは、“建築家”を育てるために特化したプログラムを学ぶという。阿部教授はアメリカ留学により、考え方の基礎と幅広い知識の上に、専門性を極めることを体得していったのだ。


カルフォルニア大学ロサンゼルス校 建築・都市デザイン学科 学科長 教授
阿部仁史アトリエ 主宰
UCLAテラサキ日本研究センター 所長
阿部仁史

1985年、東北大学工学部建築学科卒業。1987年、東北大学大学院工学研究科修士課程修了。1989年、南カリフォルニア建築大学M-ARC課程修了。1992年、阿部仁史アトリエ設立。1993年、工学博士学位取得。2002年より東北大学大学院工学研究科教授を経て、2007年カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築・都市デザイン学科長就任。受賞歴に2003年苓北町民ホールに対する日本建築学会作品賞など。