自分の意志で、目の前の扉を開く。
仙台と世界をつなぐ
建築デザインを目指して。
カルフォルニア大学ロサンゼルス校
建築・都市デザイン学科 学科長 教授
阿部仁史アトリエ 主宰
UCLAテラサキ日本研究センター 所長
阿部仁史
日本でのアトリエ設立、教授への道。
歩みを止めず進み続ける日々。
アメリカでの修士課程を修了後、建築家としての第一歩をロサンゼルスの建築事務所で踏み出した。目の前の扉をためらわずに開ける。阿部教授の生き方だ。東北大学大学院博士課程の博士号論文を書くため一時帰国した日本でも、新しい扉が待っていた。「建築コンペティションに参加したんです。応募したところ、見事採用されまして。急いで自分のアトリエをつくることになりました」その建築物こそ、宮城県民なら誰もが知る陸上競技場「宮城スタジアム」(現在の「ひとめぼれスタジアム宮城」)だった。初めて日本で手がける建築とアトリエの設立。多忙な日が続いた。それでもスタジアム建築に携わることができたことは嬉しかった。高校時代サッカー少年だったことが、サッカーの大会が開催されるスタジアム建築の情熱をさらに燃え上がらせたのだ。次の扉は、大学教授という新しいものだった。「自分が学生時代に感じていた、建築を学ぶ上でもっと知っておきたかったことを教えられるのだと思いました」返事は決まっていた。教授・阿部仁史が誕生した。


「目の前にドアがあると開けたくなる」
再び開いた、世界への扉。
母校・東北大学大学院工学研究科の教壇に立ち、5年。次なる扉は再び世界に通じていた。「UCLA」の建築・都市デザイン学科長就任への誘いだ。「目の前にドアがあると、開けたくなるんです。好奇心が強いというんですかね。新しい可能性への魅力に出会う度、自分の世界を広げたくて、橋に火をつけて渡ってきました」日本の建築デザインをグローバルな中でどう価値化できるのか。アメリカ社会の価値観の中で、教育の中で、アメリカと日本の建築デザインがどう出会うのか。何が生まれるのか。阿部教授は強い好奇心のままに、「UCLA」へと旅立った。学科長として、日米両国にアトリエをもつ建築家として、UCLA日本研究センター所長として。現在3つの顔を持つ阿部教授が感じる“楽しい瞬間”は、すべてに共通している。「頭の中でイメージでしかなかったものが、カタチになる瞬間でしょうか。建築においては特に、カタチになれば自分自身がその中に足を踏み入れることもできる。自分が考えたことが発端となって、新しい何かに気づけた時はやはり楽しいですね」

状況に左右されず、意志を貫いて。
次なる目標は、仙台と世界をつなぐこと。
仙台に生まれ、東北大学で学び、世界に羽ばたいた建築家は、さらなる目標を掲げる。「学科長として、日本とアメリカの建築教育のエッセンスを組み合わせ、拡張されたプラットフォームをつくりたいです。そしてもう一つ。仙台と世界をつなぐ役割を担いたいと考えています。アトリエのある仙台を、建築を学ぶ学生が育つ拠点にしたいんです。例えば仙台で建築学科の学生が日本一を決める大会を開いたり… 大きな環境を少しずつ築いていきたいですね」次へ次へと進みながらも、自身のスタート地点・仙台という軸足を外さない。目の前の可能性を逃さず、果敢にチャレンジする。阿部教授が今この瞬間にも活躍のフィールドを広げ続ける背景には、好奇心に始まる純粋な情熱があるのだろう。「学生からよく、自分には建築の才能があるか?と尋ねられますが、それは誰にもわからないこと。亡くなってから認められる芸術家も多くいますね。大切なのは、自分で好きなこと、信じられることを見つけること。常に自分自身に問いかけること。置かれている状況よりも、自分の意志を貫くことではないでしょうか」


カルフォルニア大学ロサンゼルス校 建築・都市デザイン学科 学科長 教授
阿部仁史アトリエ 主宰
UCLAテラサキ日本研究センター 所長
阿部仁史

1985年、東北大学工学部建築学科卒業。1987年、東北大学大学院工学研究科修士課程修了。1989年、南カリフォルニア建築大学M-ARC課程修了。1992年、阿部仁史アトリエ設立。1993年、工学博士学位取得。2002年より東北大学大学院工学研究科教授を経て、2007年カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築・都市デザイン学科長就任。受賞歴に2003年苓北町民ホールに対する日本建築学会作品賞など。