宇宙の物質の99%を占めるプラズマ。
無限の可能性に情熱を注いで。
東北大学大学院工学研究科・工学部
電子工学専攻 物性工学講座
プラズマ理工学分野 教授
金子俊郎
「知りたい気持ち」が導いた先には、
“生命の起源”とも言える第四の物質。
地球の生命を育む太陽、その太陽から莫大なエネルギーを吹き出す太陽風、暗雲の下に走る雷、そして美しく夜空を彩るオーロラ。これらは、ある一つの物質からなりたっている。その名は、プラズマ。固体、液体、気体に次ぐ第四の物質“電離気体”プラズマは、宇宙の物質の99%以上を占める“生命の起源”とも言える存在であり、現代ではテレビ、蛍光灯、空気清浄機、車のヘッドライトなど、私たちの毎日の生活に決して欠かせない存在である。世界中でプラズマの研究が本格的に始まって約半世紀。東北大学工学部では現在、プラズマを応用したさまざまなプロジェクトが進められている。その中心人物の一人が、電気情報物理工学科の金子俊郎教授。工学と医学、医工学、薬学、農学などとの連携を積極的に図り、海外の学会からの招待講演も数多く要請されるプラズマ研究者である。最近では、プラズマによるがんの治療や無農薬いちご栽培も研究。幼い頃から電気の不思議に魅せられ、研究に没頭する楽しさに惹かれてきた金子教授を研究者へと導いたのは、どこまでも真っ直ぐな「知りたい気持ち」だった。


子どもの頃魅了された工学の門をくぐり
初めての「実験漬け」の日々へ。
ある時は、電気と機械の仕組みを突き止めるため、電子計算機を解体。またある時は、科学館に通い詰め、電気モーターについてとことん調べ、作品展に応募するまで完成度を高めた。「仙台生まれの仙台育ちでして、小学生の頃、仙台市科学館には本当に何度も行きました。なんとなくですが、電気とか工学とかが好きだったんだと思います。でも小学校から高校まで、ずっと部活はスポーツ。科学部でもなかったし、スポーツばかりの日々だったので、趣味で実験をしたり、なんてこともありませんでした」 岐路は大学受験。子どもの頃から気になってきた電気の世界に入ってみたい。人生の大きな分かれ道を目の前にそう実感した金子教授は、せっかく学ぶなら東北大学工学部をと受験。見事合格して入学した後は将来に向けて基礎を積み重ね、4年次の研究室配属を待った。配属先は、プラズマ研究室だった。「いよいよという感じでした。正直なところ、プラズマというのはそれまであまり身近に感じていなかったのですが、大きな実験装置に圧倒されたのを覚えています。初めての実験漬けの日々。徹夜になることもありました。でも実験というのは、どんな形であれ結果が出るもの。それが面白くて、のめり込んでいきました」

人に認めてもらう面白さを教えてくれた
プラズマ研究との出会い。
「生命の起源は、雷ではないかと言われているんです。雷を構成するのはプラズマ。つまり自分が研究しているプラズマが、生命起源そのものを解明する鍵になるかもしれない。ワクワクするでしょう」 研究の面白さとの出会いと、プラズマとの出会い。目の前の扉が次々に開かれていく楽しさは、金子教授をますます魅了していった。工学部卒業後は東北大学大学院工学研究科に進学。研究テーマを核融合プラズマに定め、修士論文作成のための実験に明け暮れた。そして、金子教授の人生を大きく左右する学会発表の機会を得た。「修士課程2年の時、プラズマを閉じ込める電気の壁をいかにつくるかという実験結果を学会で発表させてもらったんです。その時私の発表を聞いていた研究所の方や、プラズマ研究の第一線で活躍されている教授たちから“新しいメカニズムで面白いね!”と評価していただいて。価値のある研究と思ってもらえたんだって思うと、嬉しくなりました」 研究とは、人に認めてもらえる面白さを併せ持つもの。自分より年齢も実績も上の研究者たちに認めてもらえたという事実が、「一生涯研究を続けること」を金子教授に決意させた。


東北大学大学院工学研究科・工学部
電子工学専攻 物性工学講座
プラズマ理工学分野 教授
金子俊郎

1992年、東北大学工学部卒業。1994年、同大学院工学研究科博士前期課程、1997年、博士後期課程を修了し、東北大学大学院工学研究科助手。助教授を経て、2012年、教授に就任。研究分野はプラズマ科学、プラズマナノエレクトロニクス、電子・電気材料工学。2013年7月には、日本物理学会および応用物理学会加盟の「Association of Asia Pacific Physical Societies」において、「Chen Ning Yang Award」を受賞。