物質中の量子構造である「量子幾何」が生みだす新奇現象の電流制御に成功
―非線形伝導を活用した革新的スピンデバイスへの応用に期待―
2026/11/05
発表のポイント
概要
近年、物質中の電子の量子状態が持つ構造である「量子幾何」が、オームの法則に従わない特異な電気伝導現象「非線形伝導」を生み出す重要な起源として注目されています。これまでの研究では、このような非線形伝導の観測やその物理的起源の解明が中心でした。一方で電子デバイスへの応用に向けては、こうした応答を電気的に制御する必要があります。
このたび、東北大学と日本原子力研究開発機構からなる研究チームは、トポロジカル反磁性体であるマンガン・スズ化合物(Mn3Sn)において、量子幾何に由来する非線形ホール状態を室温下で観測し、かつそれを電流で制御することに成功しました。具体的には、量子幾何に由来する非線形ホール状態と磁気秩序の対応関係を利用し、電流により誘起されたスピン軌道トルク(注3)によって磁気秩序を制御することで、非線形ホール状態の電流制御を実現しました。本成果は、量子幾何に由来する特異な電気伝導を自在に操る新たな道を拓くとともに、電気信号の周波数変換や増幅などの機能を電流で制御する次世代電子デバイスへの応用が期待されます。
今回の研究成果は、2026年11月4日(米国時間)付で、Cell Pressが刊行する学術誌「Newton」に掲載されました。
研究の背景
現代のエレクトロニクスは、物質中を流れる電子を自在に操ることで飛躍的な発展を遂げてきました。さらなる高性能化・多機能化に向けて、従来の電気伝導の枠を超えた新たな電気応答を開拓し、それを自在に制御することが求められています。近年、物質に潜む量子的な性質を新たな機能として引き出し、次世代の電子デバイスへとつなげる研究が活発に進められています。
その中で、新しい電気応答を生み出す重要な起源として注目されているのが「量子幾何」です。量子幾何とは、電子の量子状態を表す波動関数が持つ、歪みやねじれといった幾何学的な構造を特徴づける概念です。近年、この量子幾何が電子の流れ方を左右し、通常の電気伝導を超えた特徴的な電気応答を生み出すことが明らかになってきました。
量子幾何が顕著に現れる現象の一つが、「非線形伝導」です。通常の電気伝導では、オームの法則に従って流れる電流と発生する電圧は比例関係にあります。一方、特殊な電子状態を持つ物質では、電流の2乗以上に比例する非線形伝導が現れることがあります。なかでも、電流と垂直な方向に非線形な電圧が生じる「非線形ホール効果」は、量子幾何を反映する代表的な電気応答の一つです。このような量子幾何に由来した非線形ホール効果を示す電子状態(非線形ホール状態)は、効率的な電気信号の周波数変換などの新たな機能を生み出す可能性があり、次世代電子デバイスへの応用が期待されています。
しかし、こうした機能を電子デバイスとして活用するためには、非線形な電気応答を観測するだけでなく、その大きさや向きを電気的に制御できることが重要です。一方、量子幾何は一般に物質に内在する性質であり、材料を作製した後にその性質を自在に変化させるのは容易ではありません。そのため、量子幾何に由来する非線形ホール状態を電気的に制御することが、デバイス応用に向けた重要な課題となっていました。
今回の取り組み
今回、東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センターの内村 友宏 助教(研究当時、東北大学電気通信研究所/大学院工学研究科大学院生)、同大学先端スピントロ二クス研究開発センターのハン ジヤハオ(Jiahao Han) 准教授、同大学電気通信研究所の深見 俊輔 教授、及び日本原子力研究開発機構の荒木 康史 研究副主幹と家田 淳一 グループリーダーらによる研究チームは、量子幾何に由来する非線形ホール状態を室温で観測し、さらにそれを基盤としてこの状態を電流によって制御することに成功しました(図1)。
本研究では、トポロジカル反磁性体マンガン・スズ化合物(Mn3Sn)に着目しました。Mn3Snは、Mn原子の磁気モーメントが三角形状に配列したカイラルな磁気構造を持つ反強磁性体です。この特殊な磁気構造によって、Mn3Snはワイル半金属と呼ばれる特徴的な電子状態を形成し、顕著な量子幾何を有することが知られています。この電子状態は磁気構造と結びついているため、磁気構造を制御することで量子幾何を制御できると考えられます。
研究チームは、結晶方位の揃ったMn3Sn薄膜をスパッタリング法により成長させ、この薄膜を用いて微細な素子を作製しました。室温における高次の電気応答を詳しく調べたところ、電流に対して垂直な方向に電圧が生じる「ホール効果」において、電流の3乗に比例する「3次の非線形ホール効果」を観測しました(図2)。さらに、この非線形ホール状態が磁気秩序に応じて変化することを明らかにしました。次に、観測された3次の非線形ホール効果の起源を明らかにするため、実験結果と理論計算を組み合わせて解析しました。その結果、この非線形ホール効果が、Mn3Snが持つ量子幾何の中でも特に「ベリー曲率四極子」(注4)が重要な役割を果たしていることが示されました。
さらに研究チームは、電子の電荷と磁気モーメント(スピン)の両方を利用する「スピントロニクス」の技術を活用し、この量子幾何に由来する非線形ホール状態を電流によって制御することを試みました。Mn3Snに隣接する重金属に電流を流すと、スピンホール効果によって電子のスピンの流れであるスピン流が生じ、Mn3Snへと注入されます。このスピン流が「スピン軌道トルク」となってMn3Snの磁気秩序を制御します。この効果を利用してMn3Snの磁気秩序を電流によって切り替えたところ、それに対応して3次の非線形ホール状態も切り替わることを確認しました(図3)。これにより、磁気秩序を電流で制御することで、量子幾何に由来する非線形ホール状態を電気的に制御できることを実証しました。本成果は、従来の磁気秩序の制御を中心としてきたスピントロニクスを、電子状態が持つ量子的性質を制御する新たな領域へと発展させるものです。
今後の展開
本研究では、量子幾何に由来する非線形ホール状態を室温で電流によって切り替えられることを示しました。本成果は、量子幾何と磁気秩序の関係を理解する新たな手掛かりとなり、量子物質における未知の電気応答や物性の探索にもつながることが期待されます。今後、さまざまな材料へ本研究の考え方を広げることで、量子幾何が生み出す新たな電気応答や機能が開拓されるものと期待されます。さらに、より小さな電流での制御や非線形な電気応答の高効率化を進めることで、特性を電気的に調整できる高調波生成や信号増幅などへと応用されるものと期待されます。

図1. 磁気秩序を介した量子幾何由来の非線形ホール状態の電流制御。Mn3Snの磁気秩序を電流で制御することで、量子幾何に由来する非線形ホール状態を制御します。図の左右は異なる磁気秩序を示しており、磁気秩序の変化に伴って非線形ホール電圧の向きが反転します。

図2. Mn3Snにおける3次の非線形ホール効果の観測。Mn3Snに電流を流し、電流と垂直な方向に生じるホール電圧を測定しました(左)。その結果、室温において、電流の3乗に比例して増大する3次の非線形ホール電圧を観測し(右)、実験・理論計算を組み合わせることで、この非線形ホール状態が量子幾何に由来することを明らかにしました。

図3. 量子幾何に由来する非線形ホール状態の電流制御。正負の電流パルスを交互に印加することで磁気秩序を制御し、3次の非線形ホール電圧を繰り返し切り替えることに成功しました。量子幾何に由来する非線形ホール状態を、電流によって二つの状態間で安定的に制御できることを示しています。
謝辞
本研究は、日本学術振興会・科学研究費助成事業(JP23KJ0216、JP24K16999、JP22K03538、JP24H00039、JP24H02235、JP25K24642、JP26K01372)、科学技術振興機構・創発的研究支援事業(JPMJFR246Y)、文部科学省次世代X-nics 半導体創生拠点形成 事業(JPJ011438)、東北大学スピントロニクス国際共同大学院などの支援の下で行われたものです。
用語説明
(注1)量子幾何
物質中の電子の量子状態が持つ幾何学的な性質のことです。電子の波動関数が運動量空間でどのように変化するかを特徴づけるもので、ベリー曲率や量子計量などによって表されます。近年、量子幾何が電気伝導や超伝導など、さまざまな物性や量子現象の起源となることが明らかになり、新たな物性を生み出す重要な概念として注目を集めています。
(注2)非線形ホール状態
物質に電流を流した際に、電流と垂直な方向に非線形な電圧が生じることで特徴づけられる電子状態です。通常のホール効果では電圧が電流に比例するのに対し、非線形ホール状態では、電流の2乗や3乗などに比例するホール電圧が現れます。特に量子幾何に由来して発現する非線形ホール状態を量子幾何誘起非線形ホール状態と呼びます。
(注3)スピン軌道トルク
流れる電子のスピンとその運動が結びつくスピン軌道相互作用を利用して、磁気秩序に力(トルク)を与える現象です。電流を流すことで生じるスピン蓄積が磁気モーメントに作用し、その向きを変化させることができます。このため、外部磁場を用いずに電気的な方法で磁気状態を高速に制御することが可能であり、磁気メモリや情報処理デバイスなどへの応用が期待されています。
(注4)ベリー曲率四極子
量子幾何の1つであるベリー曲率が、運動量空間においてどのように分布しているかを表す量です。特に、ベリー曲率が示す四極子的な分布の特徴を捉えるもので、物質の対称性や電子状態と密接に関係しています。ベリー曲率四極子は、電流の3乗に比例する非線形ホール効果を生み出す重要な起源の一つであることが知られています。
論文情報
著者:Tomohiro Uchimura*, Jiahao Han*,**, Yasufumi Araki, Yuta Yamane, Shun Kanai, Jun’ichi Ieda, Hideo Ohno, and Shunsuke Fukami **
*共同筆頭著者
**責任著者:
東北大学先端スピントロニクス研究開発センター 准教授 Jiahao Han
東北大学電気通信研究所 教授 深見 俊輔
掲載誌:Newton
DOI:10.1016/j.newton.2026.100722
お問合せ先
東北大学 電気通信研究所 教授 深見 俊輔
TEL:022-217-5555
Email:s-fukami@tohoku.ac.jp
(兼)東北大学大学院工学研究科電子工学専攻
(兼)東北大学先端スピントロニクス研究開発センター (CSIS)
(兼)東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センター (CIES)
(兼)東北大学材料科学高等研究所 (WPI-AIMR)
(兼)公益財団法人稲盛科学研究機構 (InaRIS)